経緯

1982年10月25日~30日青原李龍子作品展開催
1985年11月25日~30日朴炳熙彫刻展開催
1987年11月2日富士美術館へ韓国現代美術展の為に絵画5点貸与
1989年7月11日韓国大使館に油絵3点貸与・金昌熙ブロンズ作品1点寄贈・郭徳俊版画作品4点・郭桂晶版画作品2点 寄贈
1995年11月7日第1回光州ビエンナーレ記念講演「境界を越えて」韓国文化院
2008年4月11日金沢市小村進氏所蔵文物17点の寄贈仲介及び代理人となる
2008年12月4日英親王並びに李方子妃関連歴史資料684点寄贈
2009年4月23日英親王並びに李方子妃関連歴史資料1点寄贈
2011年10月18日~29日崔承喜生誕100周年記念 光州市立美術館所蔵河正雄コレクション「伝説の舞姫・崔承喜展」開催 韓国文化院ギャラリーM1
2011年10月22日西木正明直木賞作家講演「崔承喜について」・韓国文化院
2011年10月28日河正雄トークショウ開催・韓国文化院
2011年10月29日文化勲章受勲記念講演「私と韓国美術との出会い」受勲記念パーティー・韓国文化院主催にて開催
2011年12月19日韓国文化院30年史に祝辞寄稿・私と韓国文化院との30年の歩み
2012年6月5日孫雅由作品4点寄贈 駐日韓国大使館新築記念
2015年5月10日~14日河正雄コレクション「故郷展」開催 韓国文化院ギャラリーM1
2015年7月7日~11日河正雄コレクション呉日画伯追慕「きらら展」開催 韓国文化院ギャラリーM1
2015年10月10日第4回韓国人留学生による現代アート展開催・第1回~第4回支援
2019年6月14日韓国文化院との交流事業検討会・高根町総合支所会議室にて
2020年2月15日韓国文化院北杜市交流事業・「白磁の人」上映会と講演(小沢龍一)

※1982年~2018年に渡り韓国文化院図書館に図書寄贈続ける


私と韓国文化院との30年の歩み

光州市立美術館名誉館長
河正雄

私は韓国文化院の30年の歴史と共に歩んで来た。そして歴代の院長と親密にして人間的な交際を通して学び、多くの人間関係を育んできた。韓国文化の奥深さと情緒の深さは私の自尊心と誇りを高め人間性を豊かにしてくれたと言える。

晩節に入りしみじみと人生を懐かしく回顧出来る事は何という幸せ、喜びであろうか。積み重ねてきた多くの韓国文化院との交流記録の中で鮮やかな心温まる記憶を語りたいと思う。

1982年、私は在日元老作家全和凰(1909-1996) の画業50年展を銀座の東京セントラル美術館で開催した。その開催にあたり崔兌洵院長(第二代)は展示準備やオープンセレモニーの際、Yシャツの袖を捲った姿で陣頭指揮に当たり、その献身的な姿と慈愛に満ちた笑顔が今でも忘れられない。この行事の後援をいただいた事で私は韓国文化院との縁を深くした。それから韓国美術界に進出し、今に続く、韓国での文化事業を進める礎としたと言える。

1989年、長女の結婚式を東京会館で行った際には、尹鐸公使 (第三代院長)が祝辞を述べて下さった。娘が角隠し、白無垢の衣装で入場した時は驚かれた様で表情が硬くなっていらした。お色直しで民族衣装のチマチョゴリで現れた時に初めて笑顔を見せられ「これで良いのだ。」と話された。歴史の中での在日の宿命を理解し合う情を少しだけ分かち合った思いがした。

1990年、私の故郷秋田県仙北市田沢寺で行われた朝鮮人無縁仏追悼慰霊に於いて鄭亨壽使(第四代院長)が追悼辞を述べて下さった。

戦前、田沢湖をダムとみなし、周辺に水力発電所工事があり、多くの同胞が徹用で働き不幸にして亡くなった無縁仏を追悼する慰霊祭である。不条理であった歴史の事実を省察した追悼辞は沈痛なものであり、内省と反省を述べられ人間的な温かみに溢れるものであった。

2002年光州市と仙台市との国際姉妹都市調印式が仙台市で執り行われた。1995年、姜雲太光州市長(現市長)よりの依頼で紹介し結縁したのである。

その調印式に立ち会われたのが朴正浩総領事(第六代院長) であった。私は少年時代から仙台市に縁が深かったという話をしたところ「東北を代表する文化学術都市との結縁は光州市にとって最もふさわしく、 双方にとって良い都市との縁を結んだ。」とその意義を認めて下さった。

今、光州市民は韓国民と共に未曾有の東日本大震災で都市を破壊され、復興に立ち上がっている仙台市や東日本の人々に対して支援協力を惜しみなく尽くしあって、友好都市の意義を深めている事は人道的であり心温まる友好関係であると喜んでいる。

秋田県横手市で開かれた十文字映画祭に鄭鎮永第七代院長を招待し映画「風の丘を越えて」を上映した。その時、友人の朴炳陽君と鄭一成撮影監督をも招待した。わらび座で宿泊していた早朝の事、 大きな揺れを体験した。この日、1995年1月17日に近畿圏の広域を襲った阪神淡路大震災である。

間もなく朴炳陽君が神戸に帰らねばならない、 息子の消息が掴めないと血相を変えて急ぎ帰って行った。我々は、その十数日後に息子さんが震災の犠牲になった事を知り、心配していた事が現実となって心を痛めた。今でも鄭鎮永、鄭一成先生は会う度に地震国日本の宿命を同情され激励を受けている。

2011年、私の故郷である秋田県仙北市教育委員会の要請で河正雄コレクション「故郷展」 を開催する事となった。会期終了後、後援して下さった姜基洪院長(第十代)に御礼の挨拶に伺った。その席で「故郷展」を文化院ギャラリーに招待したいとの申し出を受けた。私との深い御縁と功労に感謝する気持ちからと言われた。

私は、この言葉を聞いた時、空海の「雀子玉座右銘」の教えが甦った。「施人慎勿念受施慎勿忘」の教えは1300年経った今も生きているのだと思った。

スタッフ一同一心にして故郷展の為に尽くされ、成功させてくれた情は1982年の行事の時と変わらぬ誠心誠意の心そのものであった。私が受けた韓国文化院からの恩は石に刻んでも刻み足りない事を教えられた。

韓国文化院は韓日間の文化交流、相互理解のみならず在日文化の守りであり心の拠り所なのである。韓国文化院30年の歩み記念誌発刊にあたり、文化とは情であり文化院との関係は正にそれであったという認識を記して祝いの言葉、そして感謝の言葉としたい。

(韓国文化院30年史 2011年より)

伝説の舞姫・崔承喜展(2011年)

今年は舞踊家・崔承喜の生誕100周年・それを記念して「崔承喜生誕100周年記念光州市 立美術館蔵河正雄コレクション伝説の舞姫・ 崔承喜展」が、18日から29日まで東京・四谷の韓国文化院で開かれる。光州市立美術館で行われた記念展の巡回展だ。金姫娘・光州市立美術館学芸研究士の「崔承喜、火花のように生き、風のように行く」を紹介する。
崔承喜は植民地時代には民族の花、世界的舞踊家として評価されたが、植民地時代と解放、そして民族分断という歴史の渦の中で親日芸術家、北朝鮮へ渡った舞踊家という理念的な軛をつけられ、きちんと評価されていない芸術家である。今 回の展示のタイトル「火花のように、風のことく、舞姫崔承喜」はドラマチックな崔承喜の生涯を比喩したものでもある。すなわち祖国を失った暗黒の時代に火花のような芸術家魂を発揮した偉大な芸術家に対する敬意の表現であると同時に、激動の近現代史の歯車の中を風に吹かれるように翻弄された人生、そして芸術と理念の問を綱渡りする中で、正当な待遇を受けたことのない悲運の芸術家に対する憐憫の意を含んでいる。

2013年

韓国人留学生による現代アート展(2014年)

美術系の韓国人留学生の有望作品を紹介する「チャレンジ・アート・イン・ジャパン2014-韓国人留学生による現代アート展」が、東京・四谷の韓国文化院で開かれている。同展は、多摩美術大学、武蔵野美術大学、東京芸術大学、女子美術大学、東京造形大学などに在籍する現役の留学生たち、卒業生たちによる展覧会で、作品発表の機会の少ない留学生への支援と、韓日文化交流への寄与を目指すもので、今回が3回目となる。

2019年