張順玉(1956年-)

人形の世界は平和の象徴

人形作家張順玉を語るには、彫刻家朴柄照先生との出会いから語らねばならない。1984年1月、朴先生より次の様な要請があった。

「私は、これまで人体を通じ写実彫刻作品を制作して来た。日本の古代仏像彫刻から現代写実彫刻に至るまで、日本彫刻の造形的な繊細性を、より広く観察したい。

人類学的な面で、東洋人の人体構造が韓国と日本の人体彫刻には、どの様な特徴で現れているのか。その造形的特性を学び、これからの制作活動に生かしたい。

特に材料と技法と鑑賞を通じて、日本にある本来からの作品を分析したい。韓国と日本の人体彫刻が持っている同質性と異質性を理解しながら、制作及び彫刻教育に役立てたく日本留学を志願したい。」

当時、身元引受保証人として韓国人留学生を受け入れる事は、法的にも経済的にも条件が厳しく容易い事ではなかったが、我が家にはアトリエも単独住宅もあった。故郷の出身者でもあり、前途有望なる若い学徒を育成、助成する事は私の夢にも繋がる。朴柄照という彫刻家と私が初めて出会ったのは、彼が渡日する少し前の事であったが、彼の人柄から苦悩と思索を表現しようと努力している事を感じていたので、日本留学を引き受ける事とした。

「私はその時、大田の韓南大学美術科の講師だった。一年間休み、日本の筑波大学大学院彫刻科で学ぶ事になった。河先生から「日本の自然と日本人の心を学べ」と教えられた。

留学にあたっては妻の反対もあったが、日本の作品を見ると、自分の作品と共通点があり、美観も似ていると留学を決心したのだ。

日本の各地を旅行し、日本の自然と風土に育てられ開花した日本の芸術に深い感銘を受けながら、多くの作品にも接してきた。しかし韓国民が世界に誇りうる民族的な美意識は、この国に優るとも劣るものではない。経済的発展の土壌と文化芸術発展の風土は異質なものである事を学んだ。」

日本での留学を終えた彼は韓国具象彫刻界の中堅作家として活躍し、大田の母校韓南大学キャンパスに、象徴彫刻のモニュメントを製作する栄誉を担い韓国を代表する彫刻家として活躍する事となった。その夫の活躍を陰で支えた人こそ張順玉であった。

2005年になって、それまで疎遠であったが大田にある朴先生のアトリエを訪ねた。

豊富なる作品群が制作されており、それらが陳列台に整然と並べられていた。その時、テラコッタで制作された子供達が土いじりをして遊んでいる人形の余りの可愛さに心奪われ、コレクションを申し出た。

すると朴先生は「これまで河先生にはお世話になったので、お気に入りならプレゼントします。」と言われ、その後、我が家のマスコットとなった。

2010年になって霊岩郡立河正雄美術館開館準備の為、足繁く朴先生のアトリエを訪問する事となった。

その時、それらのテラコッタ作品が奥様である張順玉の作品である事を知った。彼女が人形作家である事を、それまでつゆとも知らず、朴先生の作品と思い込んだのは作品の世界や作風、そしてフォルムが似通っていたからだ。夫婦というものは作品まで、こうも似るものかと感嘆し改めて見直した。

彼女は朴先生よりも早くから人形作品を発表し、作家活動をしていた。しかし子育ての為に作家活動からは遠ざかり、内助を務め趣味として作品を制作し続けて来たという。それらの作品群の全容を見る事となった私は、改めて彼女の人形の魅力に引き込まれた。

人形とは木、土、石、布、紙等を用いて人間の形を小さく作ったものを言う。人形の起源は単なるモノではない。古代の人々の祈りが込められている、"ひとがた"(宗教や信仰に関連して神聖なものの姿を人間の形に象徴して表したもの)なのだ。

"ひとがた"が手遊びとなり、手遊びから芸術へと昇華して行った。物言わぬ人形達が見る人の心を鏡の様に写し、心を打つのである。私は人形そのものが平和の印であり、平和の象徴だと思っている。人形の素材、表現方法に於いて作家達の意図は様々である。

古典的手法や現代アート的なものが最近多いが、私は人間の情念を表現した作品に触れた時に、人形に「魔」を感じる時がある。「これが人形か?」と驚きを超えた世界に出会うのである。それと同時に、人間への優しさと親しみが伝わり深い愛情を感じるのである。

彼女は土製の人物像や動物像、家や船等の形を作り、火で焼いた土人形「土偶」の製作を多くした。土偶にストーリーを込め、テーマを絞って時代を盛った背景にして、人物の表情に苦心していた。

ストーリーは昔の故郷の風景を甦らせており、テーマは我が国の伝来童話からイメージしたもので、祖母が昔話を語りかけるような世界。失われてしまった、忘れ去られた我々の伝統文化の追憶を土偶に託して、真剣に子供達へ語ろうとする愛情が読み取れる。

土に触れる喜び、子供の時代に戻る喜び、土で作る人生、土と共に美しく生きたいと願望している。土に戻りたい、童心に帰りたいと心の故郷に向かっている。

それらの作品に読み取れる的確な構成力は、彫刻デッサンや土偶等の造形的な基本によって培われたものである。繊細で優美な詩情(心の隅に置き忘れた壊かしい心の詩)を素朴に、生き生きした精神が凛と輝き表現されている。

土偶の人形製作を芸術の領域までに高めたことを称えたい。女性の目と感覚で大地にしっかりと足を据え、社会を見据え、本質を見据えた生活の軌跡がある。素直に飾らず清潔で健やかな精神を前向きに人生を楽しみながら創作した「人間の妙」「人間の愛」が、それらの人形に表れている。

その時々の自分自身の熱い想い、季節の想い、社会で起こった事への想いを人形に込めている。人は皆幸せでありたいという願いから、世の中の移ろいの様や、生きる喜び、悲しみ、時の流れと共に生きていて良かったといえる世の中、人間に対する真実のために、みんなが生きていけますようにと、その祈りを人のかたち、つまり人形で表現している。

作品の対象が常に人であるという事に深い意味と使命感を持つ。人間讃歌そのものと言える。また作家の人生観が作品の全てであると言える。

幼児、少女、老人ら老若男女の自然な姿を健康な感覚で表現された群像作品が多い。

女性や子供の表情などに慈愛に満ちた温かな眼差しがあり、女性ならではの情感と哀愁がある。その端正な表情には存在感=「形」があり、その完成度が内に秘めたものを更に浮き彫りにしているように感じる。

朴先生のアトリエを幾度か通っている内に、張順玉とも親しくなり、これまでの作品が埋もれているのは惜しい、いつの日か展示公開してはと推薦したところ、大変喜ばれ快く応諾された。そして全ての作品を河正雄コレクションとして寄贈したいと表明された。

30数年の歳月が走馬灯の様に甦り感慨深い。以心伝心、張順玉の人形作品との出会いは人生の冥利といえるプレゼントであると感謝している。

朴柄照先生にとっても私にとっても、因縁深い美術人生となった。エピソードの中から出会いの一端を語った。昔、蒔いた種が見事に実った事と共に生きて来た事を喜びたい。

(本文は秀林文化財団金煕秀記念アートセンターで2018年4月2日16月29日開催された張順玉展力タログに掲載)