2023年2月8日-2月21日 韓国文化院にて催されました。

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ムービー
(2023年2月10日 韓国文化院ギャラリーMⅠにて)

Interview
インタビュー
ceremony
セレモニー
gallery talk-1
ギャラリートークⅠ(河正雄)
gallery talk-2
ギャラリートークⅡ(河明求)
gallery talk 3
ギャラリートークⅢ(江上越)
gallery talk 4
ギャラリートークⅣ

写真

新聞記事

(記事の翻訳)

これまで55年間、1万2千点余りの絵画を寄贈した在日韓国人2世河正雄が画家許勲の「金剛山」の前で“在日”画家などの絵を説明している。(写真 駐日韓国文化院)

「とある遺言」

グローバルアイ
キム ヒョンエ 東京特派員

今でいうと小学校2年生の時である。
美術の時間、絵を描いたら先生から思いがけず称賛された。
彼が描いたのは故郷秋田県の紅葉が美しい山、在日韓国人として差別と貧しさに萎縮していた幼い河正雄の心に光が差し始めた。
ただただ絵が好きだった。
絵に没頭している間は差別も悲しみもなかったが、貧しさだけはどうしようもなかった。
4人も弟と妹がいる彼には長男としての立場は重かった。
高校を卒業し、進学できない悔しさに奥歯を噛み締めた。
「社会が大学だと思えばいい。
死ぬ覚悟で頑張って最後に社会から卒業証書を貰えばいいじゃないか。」
しかし就職さえ簡単ではなかった。
在日韓国人であるためである。
絶望の時期であった。

すると天が彼に味方した。
26歳の頃である。
電化製品を販売したのだが、東京オリンピック(1964年)が開催された。
飛ぶような勢いでものが売れた。
これを資金にして不動産業を始めた。
運も味方し、開発ブームに乗り事業がどんどん大きくなった。
そしてある日、近隣に住んでいた画家、許勲が訪ねて来た。
「絵を売って欲しい」ということだった。
風景画「金剛山(1961年)」である。
訪ねたことのない祖国の風景に心を奪われた。
作家が在日という理由もあり、絵の仲介は容易ではなかった。
このことが彼と同じような境遇にいる作家達の絵画の世界に開眼したきっかけになったのである。
在日韓国人の作家達の絵画を世の中に発信したかった。
母国にまともな美術館がないことを知り、光州市立美術館や釜山市立美術館などに少しずつ寄贈し始め、在日韓国人の作品が注目され始めるようになった。

先日8日、日本の東京にある韓国文化院で開催された「河正雄コレクション」の展示会で会った彼は今年84歳、立っているのが辛いと言いながらも、彼の人生を変えた絵の前では時間が経つのを忘れていた。
これまで55年間、日韓の両国で彼が寄贈した絵画は全部で1万2千点余り、実際に彼は、「数えたことがないから知らなかったが、実は多いとは思わない」と言った。

「お金だけでは人は幸せにはなれません。

私には何もありませんが、寄贈すれば私達みんなの宝になるではないですか。」

彼の声は明るかった。

日帝占領時代と戦争、紆余曲折の時代を日本人でも韓国人でもない在日として生きてきた彼は、今回の展示会が自身の「遺言」だと言った。

30余点の日韓の作家2名を紹介し、彼が決めた主題は「徒徒」。

「お互いに手を取り合い、仲良く、幸せに、同じ道を目指して歩んで行こう」という、若い人達と未来に送るメッセージだという。

凍りつく日韓関係を緩めていこうという声が春の芽吹きのようにあちこちで高まっている。

祖国の若者達、そして日本の青年達にも、彼のこのような切実な願いが届くことを祈る。

カタログ 
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