母校の憧憬の像

(「傘寿を迎え露堂堂と生きる」より抜粋)

2016年年末の事である。
秋田県仙北市の教育委員長である中学校の同期生、安倍哲男君から「来年は母校生保内中学校は創立70周年になる。その記念講演の候補に河さんの名前が挙がっている。」と話があった。
年明けて6月、心臓手術を受け療養中である9月に母校の佐川俊也校長から「10月7日に予定しているがどうだろうか。」と初めて打診があった。
「少し身体がふらついて無理です。」と返事したところ、「2か月後くらいなら大丈夫でしょうか。」と言われ「回復を祈って下さい。」とだけ答えた。
しかし11月15日になって公式文書が届き、12月11日「母校の70年と私」という演題で講演する事となった。
佐川校長に「病人で高齢でもある。何故、日を延ばしてまでも私なのか。」と尋ねた。
「20年前の50周年記念講演の時、河先輩の話を聞いております。その時、将来は母校の校長先生となり、仙北市の教育界の指導者となりなさいと励まされた事で私は励み校長になりました。
来年3月には早や定年退職となります。その時から河先輩にお願いしようと心に決めておりました。」と答えられた。
20年前のいきずりの言葉を励みに母校の校長となり、私を忘れないでくれた殊勝なる心に震えるほど感動した。
感動はそれだけではなかった。校長が撮ったという写真パネルを9枚も贈って下さった。それは母校の創立50周年と新築を記念して私が贈った「憧憬の像」ブロンズ像の四季折々の表情
を写したものであった。

生保内中学校に寄贈した朴炳熙作ブロンズ「憧憬の像」(1986.11.14)

特に来年の卒業生全員が「憧憬の像」を中心にした集合作品は、後輩達の明るい笑顔に未来が眩しく輝き、エネルギーを感じる秀逸な作品であった。
生徒達の精神的シンボルとなっていた「憧憬の像」が母校の教育現場で生きている事、そしてこのように愛され、慈しまれている事に感涙した。
後日、校長から私の講演を聞いた生徒全員の感想文が届けられた。
全て私が投げたボールを見事受け止めてくれたと判る感想文であった。
1年A組の鈴木勇太郎さんの感想である。
「僕はハさんの話を聞いて、本当の人間らしさというものを気付きました。自分がやってあげた事は忘れる。人に恩がある場合は2倍3倍にして返す。本来、人間にあるべき姿はこれだと思います。最近は人の強みが判らなくなって来た所で、丁度良い所にハさんのお話があり、改めて人の強みが判りました。全部の話を聞いて人間らしさは友がいて出来ていくものだと思いました。」
3年B組の羽根川莉奈さんの感想である。

講演後に花束を受ける(2017.12.11)

「先日の講演会でのお話を聞いて、将来に関して深く考える事が出来ました。
目標や夢を持っている人は、どんな年齢でも『青春』だという考えがとても素晴らしいと思いました。
初めて『青春』という本当の意味が理解出来て、これからの事を考えられました。
また真の友達と出会うにはとても難しい事を教えていただき、私も真の友達に出会えるような人になりたいと思いました。
恩師や母校のあるおかげで『今の自分』があると思うと、とても素晴らしい存在なんだと改めて気づく事が出来ました。
その様な存在を大切にし、これからの将来に向けて、しっかり見つめて行きたいと思います。」
老い行きて母校で瑞々しい感性を持った少年、少女達に触れ自体がタイムスリップし新たに甦った様な気持ちになった。
その喜びがじわじわと湧き、母校に感謝と若者達の未来に幸あれと心から祈った。

当時の記事


憧憬の像ギャラリー

写真作家:2017年小保内中学校校長 佐川俊也