(公式)北杜市立 浅川伯教・巧兄弟資料館ブログ

浅川兄弟顕彰碑『碑閣・露山閣』お披露目式祝辞

 浅川伯教・巧兄弟顕彰碑の韓国伝統的構造物『碑閣・露山閣』お披露目建立除幕式を心よりお祝い申し上げます。浅川兄弟を顕彰し、兄弟への感謝と敬愛を一層高める高貴な御心の露堂堂たる表れそのものです。得られる成果は誇らしく頼もしく、喜ばしい限りです。

 2023年6月25日のことです。川口市の自宅で私は韓国ソウルの『月刊韓屋』誌社長である朴敬澈(パク・キョンチョル)氏のインタビューを受けました。

 朴社長は私の父母の故郷である霊岩に残っている古の民家などを紹介するため霊岩を訪問した際に、鳩林里(クリムマウル)の霊岩郡立河正雄美術館を取材、私への関心を持たれたと話され古来よりある韓国式の、地に両手をついて拝礼するクンチョルで挨拶を受け、私は狼狽えました。初対面の方から韓国伝統の挨拶を受けたことは、昔失ったもの、忘れ去ったものが甦る感覚もあり、新鮮に思え嬉しくもなりました。

 朴社長は同年10月27日、再度自宅を訪ねられインタビュー記事が掲載された『月刊韓屋37号』を持参され、またクンチョルで伝達され恐縮の至りでした。

 私は「編集、デザイン、記事も国際的水準のセンスがある。」と感想を述べました。朴社長は「海外で認められるような本を創っている。」と信念を述べられ、韓国の出版界も一流になったと私は喜びました。

 朴社長が次号は柳宗悦の特集号を企画していると話されたので、私は浅川伯教・巧兄弟が柳宗悦の民芸運動について先駆的な影響を与えたことを話し、先に北杜市の浅川兄弟資料館を訪ね学んで欲しいと薦めました。朴社長は即座に資料館を訪ねられ、またその足で川口の自宅を再訪されました。

 「人は死ねば忘れ去られる。数十年も忘れ去られた浅川兄弟を日韓両国民が復活させた成果を知り熱くなりました。資料館の設立経緯や、地元と韓国双方の人々の友好交流事業に感動しました。日韓両国で浅川兄弟が敬愛されている顕彰碑に、1人の韓国人として感謝と敬意を込めて碑閣を寄贈建立したい。」と申し出られ、事の急展開に私は再度狼狽えました。その律儀で真摯な心の発露に私も血の滾りを感じ、感動を共有致しました。

 こうして朴社長は1年に渡り北杜市教育委員会と話し合いを進め、海を越え山を越え打ち合わせのために数度に渡り北杜市を訪問されました。一歩また一歩と歩まれ具現化され本日、お披露目の喜びとなりました。

『碑閣・露山閣』は韓国国家無形文化財保有者大木匠(テェモッチャン)李廣福(イ・カンボッ)氏のデザイン、設計により韓国で製作され、現場で組み立て建立されたものです。木材の乾燥後、韓国固有の伝統的色彩である『丹彩(タンチョ)』が施されます。周囲の自然に映える美しさ、高貴さは例えようがありません。

 ここに至る艱難辛苦、関わった私としては無私利他の奉仕精神、情熱と推進力を以てブレることなく成し遂げられ感服しております。その献身に感謝と報恩の鏡と讃えたいと思います。

 この度の慶事は今年の日韓国交正常化60周年に相応しい意義深い行事となりました。『碑閣・露山閣』建立と寄贈の承認して下さった北杜市の裁量、またあらゆる難関を越えて成し遂げられた関係者皆々様の真心と、誠心誠意の奉仕精神に敬意と感謝を申し上げます。

 『碑閣・露山閣』が浅川兄弟の国際親善の光を輝かせ、日韓友好交流の真心が実っていくことを永遠に祈念し祝辞と致します。

2025年10月28日 浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会相談役 河正雄

浅川兄弟顕彰碑お披露目式(2021年11月28日)

浅川兄弟顕彰碑お披露目式
浅川兄弟顕彰碑についての解説

浅川伯教・巧兄弟顕彰碑

この顕彰碑は、浅川巧生誕130年(没後90年)にあたり、()正雄(ジョンウン)氏から寄贈されたものです。

高校生の時に浅川巧を知った河氏は、巧のように生きたいと願い、韓日の友好に多大な貢献をされました。また兄弟のふるさとである北杜市をこよなく愛し、本市の発展にも寄与されています。

碑石のデザインは、五重塔をイメージし、下層四段は、国産の稲田(いなだ)(いし)を割り肌仕上げとし、上層は韓国産(コク)(ソン)石を本磨きにして、彫刻家の張山(はりやま)裕史(ひろふみ)氏が製作した兄弟のレリーフが配されています。

碑銘(峡山(きょうざん)植松(うえまつ)(なが)()書)には河氏の座右の銘であり、安倍(あべ)(よし)(しげ)が巧の生き方を一言で表した『()堂堂(どうどう)』の文字が刻まれ、“一切の虚飾を捨て、人として正しくまっすぐに生き抜いていくこと”への想いが込められています。

2021(令和3年)年6月吉日
北杜市教育委員会