植樹実績

日本

① 聖天院 1999年3月29日 角館枝垂桜苗木5本
② 聖天院 2000年4月23日 欅苗木20本 日本ケヤキ会と共に
③ 聖天院 2008年3月28日 角館枝垂桜苗木30本

光州

① 5.18記念聖地 1998年4月5日 欅苗木200本 日本ケヤキ会と共に
② 中外公園 2000年4月4日 平和の木柿の木二世1本
③ 中外公園 2001年4月19日 平和の木柿の木二世1本
④ 中外公園 2002年2月19日 平和の木柿の木二世1本
⑤ 朝鮮大学校 2007年11月21日 角館枝垂桜苗木25本
⑥ 光州市立美術館 2012年3月30日 角館枝垂桜苗木3本
⑦ 光州教育大学 2012年3月30日 角館枝垂桜苗木3本
⑧ 潭陽デダム美術館 2012年3月30日 角館枝垂桜苗木1本

霊岩

① 王仁廟 1991年10月16日 桜苗木200本 東京王仁ライオンズクラブ創立15周年記念 東京王仁ライオンズクラブの皆さんと共に
② 王仁廟 1996年4月5日 欅苗木200本
③ 王仁廟 2006年4月8日 角館枝垂桜苗木20本
④ 王仁廟 2006年11月20日 角館枝垂桜苗木20本
⑤ 霊岩郡立河正雄美術館 2009年11月20日 角館枝垂桜苗木30本(仁川税関で廃棄処分)
⑥ 霊岩郡立河正雄美術館上台浦 2009年12月12日 角館枝垂桜苗木30本
⑦ 道岬寺 2012年3月30日 角館枝垂桜苗木3本

5.18記念聖地(1998年4月5日)

欅苗木200本 日本ケヤキ会と共に

新聞記事

「愛する祖国と故郷のために、一人が一本のケヤキを植えよう」-ある老在日一世が子孫のために祖国に植樹する日本ケヤキの会を発足させた。


長崎で被爆した柿の木を光州市で蘇生 困難を経て2014年に赤い実がーつ実る
「『時の蘇生』柿の木プロジェクト、光州での歴史と意味」と題した フォーラムがこのほど、韓国・光州市の光州市立美術館大講堂で開かれた。長崎で被爆した柿の木を光州市に根付かせることで、平和へのメッセージを訴えてきた在日2世の河正雄さんが、同フォーラムで報告した。その講演要旨を紹介する。
2000年2月の事である。韓日美術交流展の件で、水戸芸術館に学芸員と会う用事があって訪問した時の事である。〈時の蘇生〉柿の木プロプログラムで、子供と父母が折り紙を折ったり、メッセージを書いたりワークショップを楽しんでいた。 99年ベネチア・ビエンナーレに参加し、現代美術の旗手として日本を代表する宮島達男氏は、第3回2000年光州ビエンナーレの出品作家でもあった。私は第3回2000年光州ビエンナーレの展示企画委員であった事から、記念として柿の木プロジェクトを光州に招請したいと宮島氏に申し入れたが、「先ず、植民地支配の事を詫びてからではないか。柿の木を植える時期と準備期間がないので、来年以降にしましょう」と断られてしまった。しかし私は「20世紀の美術の『かたち』である宮島達男の表現、〈時の蘇生〉柿の木プロジェクトは、韓国も共に考え参加するべき問題である。苗を巡る人々の全てがアートだというあなたの作品として、光州ビエンナーレ記念に植え表現しましょう」と説得した。こうして2000年4月4日、光州ビエンナーレ本館正門に近い仲外公園の一角に、柿の木の苗木は植樹された。当日、光州では市長ら関係者が多数出席した。以下が石碑プレートに記された主旨文である。

『1945年第二次世界大戦当時、長崎の原爆投下の為に全ての生物が死滅したが、柿の木一本が生き残った。1994 年、樹医海老沼正幸氏が被爆した柿の木から二世を誕生させ子供達に配る運動を始め、96年現代美術家である宮島達男氏が この運動を芸術として拡張するプログラムを考案した』

そして99年ベネチア・ ビエンナーレにて第3回 光州ビエンナーレでも、 その精神を共にする記念植樹をした。 しかし、その苗木の運命は修いものであった。 ビエンナーレ会期後、何者かに引っこ抜かれてしまったのである。理由を 「枯れてしまった」「国民感情から」と説明されたが、私はその時、苗木を植える時期が悪かった事を反省した。既に、その時点で教科書問題は煉り始めていたのであった。翌2001年春、再度植樹することとなった が、光州の雰囲気は一変していた。教科書問題が深刻になっていたからだ。 それから2カ月経って、芽が出たかと心配になり光州に行ったところ、心配していた事がまたも現実となった。 「芽が出たと喜んでいたら、誰かがハサミかナイフで芽を切り取ってし まっている」という報告があった。何の罪科もない長崎柿の木の苗木の運命は、現世に於いて二重三重の苦しみから救われず、解き放たれていない 現実は、余りに無情で悲しい。わずかに残った芽は、我女の願いを滋養として生き延びる事であろうと希望を託した。しかしその芽は別種の雑木が発芽していたもので、またもや希望は消え去ってしまった。 2002年になって3度目の苗木を、陽当たりの良い小丘の仲外公園一帯を見下ろす秘密の場所に非公開で植樹し、12年の歳月が経過した。 14年秋になって初めて赤い実がーつ生った。その色の美しさ、形の可愛らしさは一言葉で形容出来ぬ感動を胸中に生み、これこそ生きるArtの極致であろうと思われた。私は柿の木に実が生るまでに、良く育ってくれて ありがとうと感謝と祝意を述べた。15年春には柿の木の花が満開となった。我が家の庭にも柿の木が植えられて40数年になるが、柿の木がこんな見事に咲く事を知らずに暮らして来た。新緑を背景にして、これまで見た事の無い新しい世界がーつ開いた気がした。 民主と人権、芸術文化を標傍し誇りとする都市光州に、いよいよ春が来た喜びを分かち合い、秋の実りに希望を持った。根付き実が生る時まで、政治と感情を超えて、平和と幸福を希求する意志と信念の証がこの赤い果実である。生き延びた強靭なる柿の木の生命から今、我々に課せられている試練に激励を受けている尊い姿である。

王仁廟(1991年10月16日

桜苗木200本 東京王仁ライオンズクラブ創立15周年記念 東京王仁ライオンズクラブの皆さんと共に