ソウル景福宮内の国立古宮博物館にて「純宗皇帝の西北巡幸と英親工、李方子王妃の人生・河正雄寄贈展」(会期2011年11月22日~2012年1月31日)が開かれた。

2008年、私が駐日韓国大使館韓国文化院に寄贈した李方子王妃の遺品685点が、韓国文化財庁の所管となり3年の調査研究の成果を一部公開したものである。「朝鮮末期の悲運の歴史が手のひらに捕らえられている様だ。」との評で今、韓国で話題となった。寄贈品は韓日併合(1910年)前後の埋もれていた日韓の近代史を埋める記憶遺産であり、その時代を証言する貴重な歴史文化遺産である。この寄贈展が開かれるまでの工妃との御縁を語ろう。

朴正黒大統領が韓国に王妃を迎えられ、社会福祉活動をしていらした工妃を私は1974年、景福宮楽善斉に訪問し初めてお会いした。その時、王妃は楽善斉の庭でチャリティーバザーを開いてらっしゃったが、私は王妃様という事で気後れしてしまい、近づく事が出来ないでいた。

ソウル・国立古宮博物館での河正雄寄贈作品展(2011.11.22)

1982年になって王妃は日本橋三越にてチャリティー作品展を開く事となった。王妃の慈善事業をコーディネイトしていらした山口卓治氏からの依頼で私はお手伝いをする事となった。

作品展が終わり、王妃から赤坂プリンスホテルで慰労の接待をしていただいた。その折、王妃の新婚時代のお住まいに御案内いただいた。そこで幸せだった頃の懐かしい思い出話を聞かせていただき、温もりある人柄に触れた事により、私は王妃に対して母の様な親近感を抱いた。

「河さんは今、何をされていますか。」と王妃が尋ねられた。「在日韓国、朝鮮人の絵をコレクションしております。終戦末期に徴用で犠牲になられた同胞を慰霊する為に、美術館を秋田県田沢湖畔に建てようと準備しております。」と答えた。

1985年、王妃がご病気でいらしたとの話を聞き楽善斉にお見舞いに伺った。その時、王妃が「河さん、美術館の方はどうなっていますか」と尋ねられた。忘れずに記憶して下さっていた事に驚き、感激した。「日韓条約の戦後処理問題などでスムーズには進んではおりません。」と答えたところ、 「それでは」と言って「田沢湖祈りの美術館」と揮毫をして下さった。

1987年、ライオンズクラブ330A地区総会にご子息の李玖氏と出席された。お日にかかったのは、これが最後となり1989年、王妃は逝去された。韓国の新聞は「自らの不幸な人生を社会活動への献身で美しい人生に変えた」と論評した。王妃はユネスコ世界遺産朝鮮工陵洪陵裕陵の英園に英親工と合葬され、眠られている。

2008年になって山口氏から電話があった。「年も取ったし、身辺の整理をしている。王妃の作品があるので見てほしい。」という事で、杉並のお宅に伺った。20数点の作品をコレクションをして作品を車に積んでいたら「河さん、こんな物があるが貴方の仕事に役立つならば役立てて欲しい。」と言ってダンボール箱を出された。湿気の為に力ビ臭い状態となっていた箱を開け内容を見ると英親工と李方子王妃の遺品類であった。

「山口さん、どうしてこの遺品を持っていたのですか?」と驚いて尋ねたところ、「70、80年代、十数回に亘って王妃が携えて私の赤坂の事務所に持って来られた。『後生に役立てる為にも預かって欲しい。』と言われ持って来たのだが、私の力ではどうする事も出来ず、王妃にはすまない事をした。」と答えた。

私は即座に「私がコレクションします。」と一言って持ち帰ってはみたものの震えが止まらず、眠れぬ日々が数日間続いた。

王妃は14歳の時、自分も知らない所で英親王との結婚候補者になった。結婚が決まった1919年英親工の父君・高宗の死去や三・一独立運動が重なり、結婚が1年延期となった。王妃はこの時、18歳で喜びとどん底の気分を味あわれたが、英親王への愛情を育み、人間としての信頼を深め人生を共にして苦難に立ち向かう覚悟を醸成した。激動の1919年に書かれた日記は遺品の中でも優れた日記文学として認められる。

英親王は10歳の時、伊藤博文に留学と称し日本に来られた。王妃は日韓の歴史に翻弄された英親王との結婚を決意、日韓の狭間で生き抜く精神的な骨格を固めた。心のメッセージが記録されており、この時点で全人格が形成されていた。人を愛する事は国や歴史をも超える人生の意味と、幸せの意味を教えている。

「私の祖国は二つあります。一つは生まれ育った国。もうーつは私が骨を埋める国です。」

「私は朝鮮人に対する悪口を聞く事が一番辛かった。関東大震災の時は地獄を味わいました。」「お母様、世界はーつです。韓国人とか日本人という考えは捨てて、世界の中の一人の人間として全力を尽くして生きて下さい」と玖が私を励ましてくれました。あなたも在日の生活の中の生活の中で御苦労されたでしょう。」と王妃は生前、労って下さった。デアスポーラである在日の我々が王妃の言葉の重みに共感するのは時代を共に生きた自尊心と誇りがあるからだ。

田沢湖畔には祈りの美術館建立は叶わなかった。しかし父母の故郷である王仁博士生誕の地、全羅南道霊岩に河正雄コレクション「霊岩郡立河正雄美術館」が建立された。王妃が揮毫された「田沢湖祈りの美術館」の看板を玄関に掛け、2012年オープンした。英親王・李方子王妃の人生を追憶、省察、内省し過去の歴史認識を共有する寄贈展となる様、祈念する。

ソウル・楽善斉で李方子姫揮毫受ける(1985.9.5)