経緯

1982年5月 黄英雄氏より会館及び協会設立支援要請
1982年7月 会館建設募金活動発起人となる
1983年7月19日 社団法人韓国盲人福祉協会全南支部開館式
1983年7月19日 第一次募金活動にて800万ウォン募金
(盲人200万ウォン・光州市民300万ウォン・道100万ウォン
市100万ウォン河正雄100万ウォン)
東光州青年会議所姉妹締結仲介
1985年10月30日 第二次1期募金活動にて1151万457ウォン募金
1985年11月14日 第二次2期募金活動にて1650万9000ウォン募金 絵画慈善展販売金
(東光州青年会議所・東京王仁ライオンズクラブ他)
1985年11月7日~14日 光州盲人福祉会館建立の為の慈善展開催
1986年3月31日 第二次3期募金活動にて2674万ウォン募金
1986年4月26日 第二次4期募金活動にて1500万ウオン募金
福祉慈善会募金(在日全南道民会他)
1986年10月11日 タイプライター5台(金龍坤氏寄贈)
1986年11月15日 会館建立推進委員会結成河正雄委員長推戴
1987年7月31日 第二次5期募金活動にて27万ウォン募金
1987年7月31日 河正雄寄付金3527万543ウォン
1987年8月10日 光州市に土地寄付
光州市西区社洞23-3同所19-4 492.6㎡購入登記
土地代金1億530万ウォン
1988年4月13日 会館起工式
1988年11月15日 会館着工式
1989年4月13日 点字製版機1台・点字印刷機1台・点字機20台
3,450,000円+送料寄贈(在日全南道民会他)
1989年4月22日 会館竣工式
光州市5000万ウォン全羅南道5000万ウォン支援受ける
1990年12月11日 ソウル韓国盲人福祉中央会館開館記念ピアノ寄贈
2008年3月24日 河正雄寄付金2600万ウォン
光州市西区社洞27-1 同所19-4の土地
66.2㎡購入代金中途金
2009年7月8日 河正雄寄付金2400万ウォン土地代金残金
2009年12月6日 新会館竣工式
2010年4月23日 河正雄顕彰碑除幕式 会運営費として3000万ウォン寄附金
2017年12月8日 闇中の光体験館建立基金 100万ウォン寄附金

初心忘れるべからず

金甲柱会長と共に (2017.4.26)

(「傘寿を迎え露堂堂と生きる」より抜粋)

私は2017年4月26日、光州広域市で「貴殿は、1982年に光州視覚障碍者の方々との御縁を結んで下さり、視覚障碍者の揺籃とも言える福祉館の敷地確保を始め、福祉全般の向上に愛情を持って多くを尽くして下さいました。
ここに光州視覚障碍者7300余名の感謝を込めて『社団法人光州広域市視覚障碍人連合会名誉会長』として推戴します。」と金甲柱光州視覚障碍人連合会会長より推戴牌を受けた。
その式典に祝賀の為に同席されていた朴容九社団法人光州広域市コムドリ奉仕会会長から「2017年10月28日に我が奉仕会の創立記念式典があるので御招待したい。」との話があった。
私は1982年光州広域市視覚障碍者からの要請で福祉協会の設立と会館建設の為の発起人となって支援する事となった。
その事業の推進にあたり、光州広域市で広報の為の新聞記者会見を開いた。
その席にいた朴容九氏が「河さんのメセナの話を聞いて感動しました。私の様な者でも役立つ事をやってみたいと思うのですが、良いのでしょうか。」
と問うて来た。
私は「良い事をするのに了解を取る事も相談する事も無い。
自分が出来る社会の為に役立つ事を心ですれば良と思う。」と答えた。
「具体的に何をすれば良いのでしょうか。」
「君は何をしている人ですか」
「タクシーの運転手をしています。今日は視覚障碍者を乗せて会場に来ました。」
「例えば年に一日でも良いから視覚障碍者のみならず身体障碍者の為に奉仕するサービスの日を作り、病院に連れて行ったり、買い物の手伝いをしたり、駅まで連れて行ったり、と障碍者の要望を無償で聞いてやるなどはどうだろうか?
但し、良い事は一人でせずに君のタクシー仲間と会を作り、みんなでやってはどうだろうか。」
「それくらいの事なら、すぐにでも出来ます。」
「すぐに出来る事なら明日からでもやってみたらどうだろう。」
という会話を交わしたのが出会いである。
朴容九氏はすぐにコムドリ奉仕会を結成して活動を始めた。
20年近く経ったある日、私に相談があるというので聞いた。
「疲れました。仲間や家庭から不協和音が出て辞めようと思う。」
「辞めるのは良いが、今まで君達の活動に希望を持っている障碍者達に失望を与える事になる。
これまでの実績に対する社会の評価を捨てるのは惜しい。
男が一度やると決めた始めた事だから、初心を貫く事は試練だと思えないだろうか。」
「河さんも光州市立美術館でいろいろな試練を潜り抜けて徹を曲げずに来られた事を知っております。
私も頑張ってみます。」
その後の朴会長の努力で奉仕会組織を発展させ、指導力を発揮されている事を聞き見守っていた。
昔植えた苗木が大木になった事に敬意を抱いていた。
しかし私は1年前程から体調が優れず病院通いをしていたところ、3月30日になって胸部大動脈瘤が見つかり、6月5日に胸部大動脈人工血管置換手術を受けた。
幸いな事に術後の経過も良く、6月20日には退院する事が出来た。
術後の回復は万全ではなかったが朴会長と交わした約束を果たす為に招待され式典に出席した。
会場は光州KBSホール。1000名もの出席者で館内は祝賀ムードに沸いていた。
光州広域市長を始めとする国会議員10数名が居並ぶメイン席に案内され、朴会長の隣席に座らされた。
式典で朴会長が挨拶された。
「日本から河正雄光州視覚障碍人連合会名誉会長御夫妻が出席されました。
1982年、光州盲人福祉協会設立と会館建立発起人となられた時に出会ったお方です。
その出会いの時、指導を受けた事でコムドリ奉仕会を結成し本日を迎える事が出来ました。
河先生は私の先生であり、この会の恩人です。」と話され、壇上で床に伏して私に三度も拝礼された。
私への敬意の深さを示す所作に驚き震え、冷や汗が吹き出した。
我慢出来ずトイレに立ち、一息入れて出た所に朴会長が待っていた。
手を繋いでそのまま壇上に案内されたものだから戸惑ってしまった。
「一言挨拶をして下さい」と言われたが、予定になかった事でまた身体が震え、冷汗が噴き出してきた。
「私は朴会長から本日の招待を受け、思いも寄らぬ功労賞を受けました。朴会長は私を先生、恩人だと敬って下さったが、これまでに私は何一つ皆さんにしてあげた事もなければ、朴会長から何かして下さいと頼まれた事もなかった。
資格のない私をこの様に讃えて下さり身に余る光栄であります。
今日まで朴会長を支え、共に奉仕会を発展させ世の為、人の為に献身された会場の皆様と朴会長の偉大なる人徳に対して感謝と敬意を表します。

羅大煥在日全南道民会長・恩師中島昭二郎先生御夫妻らと共に旧・会館竣工式参加する(1989.4.22)

生保内小・中学校同級生・恩師鈴木重憲先生らと共に訪問(2012.9.4)

竣工した新・光州広域市視覚障碍人連合会館 (2010.4.23)

光州広域市視覚障碍人連合会が建立した河正雄功労顕彰碑(2010.4.23)

 

盲人福祉会館開館式(1989年4月22日)

盲人福祉会館開館式(1989 4 22)

新聞記事(1985-1986年)

盲人福祉会館建設に向けての募金活動時、建設費用2億ウォンを募る。

全羅南道1500人の目の不自由な人たちの自立の拠点についに建設!

全南盲人福祉会館完成