経緯

1994年 長崎の樹木医・海老沼正幸氏が被爆した柿の木から2世を生み出し世界の子供達に配り、ヴェニスビエンナーレ大賞現代美術家・宮島達男氏が平和を祈念するアートプログラムとして発展させた。
2000年4月5日 2000光州ビエンナーレ企画長崎被爆柿の木植樹・光州市長
・ビエンナーレ理事長らと共に
2001年4月19日 「長崎被爆柿の木」再植樹・秋田県仙北市田沢湖町の訪問団
13名と共に
2002年2月19日 「長崎被爆柿の木」再々植樹
2014年10月22日 柿の木が生った事を確認する
2015年10月25日 光州市立美術館主催「時の蘇生」柿の木プロジェクト
フォーラムパネラーとなる

公式サイト:https://kakitreeproject.com/

新聞記事

長崎の原爆でも生きのびた柿の木の苗を光州に植える






韓国植樹7年 抜かれ切られ・・・(2007年)

韓国南部・光州市の市立仲外公園で、長崎原爆で生き残った「被爆柿の木」が、2度の受難を乗り越えて育っている。
反核と日韓友好を願って植えられたものの、相次いでだれかに引き抜かれたり、切られたりした。
背景 には根強い反日感情があるとみられ、管理する光州市立美術館は3本目を人目につかない場所に植樹。
約2mの高さまで成長したため、来春、元の場所 に植え替え、平和への思いを市民に改めて訴える。

長崎被爆柿の木と私(2015年)

時の蘇生・柿の木プロジェクト インタビュー

植樹地からのメッセージ|韓国|河正雄/Messages from the planting sites | Korea | Ha Jung Woong

仲外公園

韓国 光州広域市(2000)
日韓の友好と平和を願って推選された。
韓国発の植樹プロジェクト。在日韓国人2世の河正雄さんは、水戸芸術館の展示で被爆柿の木2世の存在を知り、「ぜひ、韓国光州市に植えたい」と、その場で植樹を申し込んだ。河さんは在日韓国人アーティストの作品2603点を光州市立美術館へ寄贈したコレクターでもあったため、第3回光州ビエンナーレ記念植樹としてプロジェクトを光州へ招聘した。こうして、光州市立美術館が植樹の受入先となり、「秩父屋台ばやし」の和太鼓演奏の中、韓国初、アジア初の植樹が実現した。ところが、反日感情は根深く、まもなく柿の木は何者かによって引き抜かれた。そして、翌年に再植樹するも、再び出てきたばかりの芽を切り取られる事件が起きてしまう。それでも河さんは「我々がここであきらめてしまっては、未来に希望を与えられない」と再々植樹を強く希望し、3回目の植樹は非公開で行った。2014年、柿の木は見事な実を付けるまでに成長したが、未だにその場所は公にされない。近い将来、両国の友好と平和のシンボルとして一般に公開されることが期待される。