経過

1981年11月25日大雄宝殿前石燈寄進①・130万ウォン
2004年9月5日大雄宝殿前石燈寄進②・3000万ウォン
2007年3月2日大雄宝殿本尊盧遮那仏像寄進1億ウォン
2008年6月30日大雄宝殿前石燈寄進・2000万ウォン
仏画9点 石仏写真42点
2009年4月11日大雄宝殿竣工式・扁額揮毫2枚寄進
2011年10月28日仏像後背淦 金代 3000万ウォン寄進
2012年4月26日角館枝垂桜植樹
山門付近 2本
奥院付近 1本
2012年4月7日朴炳熙作 石仏 頭像2点寄贈
2020年12月28日大韓仏教曹渓宗第22教区月出山道岬寺主席顧問任命状

尋劒堂について

尋劒堂という建物は寺院でのみ見ることが出来る建物です。言葉通り解けば刀を探す家という意味です。
仏教では煩悩を無名草と言い草になぞらえ過ぎ去って比喩をする事が多いです。故に、この煩悩の草を切る為には刀が必要でしょう。
この煩悩を切る刀を探す事、これが即ち尋劒です。
ここで言う刀とは知恵を象徴します。金剛般若波羅蜜経では般若波羅蜜が知恵であり、この知恵が即ち刀という事です。
韓国の仏像には刀を持った仏像がありませんが、外国の仏像中に文殊菩薩は刀を持っている場合が沢山ありますね。それが即ち知恵の劒を指す言葉です。

月出山道岬寺に祈る

本日(2004年9月14日)、金徹鎬郡守様を始めとする管内機関団体長と道岬寺御住職や信徒の皆々様には公私ご多忙の所、多数お集まり下さり心より感謝を申し上げます。この度皆様のおかげを持ちまして月出山道岬寺大政殿に石燈を建立し、寄進できましたことを、大変光栄に思います。

 昨年7月22日のことであります。その前日、光州市立美術館で美術品の第3次寄贈式、そして朝鮮大学校美術学名誉博士学位授受式を終えて、母を始めとする家族や親戚、友人達らと共に先祖のお墓をお参りし、道岬寺に参拝して感謝の報告を致しました。

 その時立ち寄った霊岩陶器文化センターで郡守様とお会いし、河大洲兄さんより前々から打診されていた石燈の寄進を承諾いたしました。その時、私にこのような仏縁の機会を与えて下さったことは名誉であると思ったからです。

 権永振先生が芸術家として渾身の力を込めて製作された石燈が完成しました。道岬寺の宝物になる立派なもので権永振先生の献身に敬意を表します。本日、めでたく竣工し、除幕式を迎えることが出来、この喜びを皆様と分かち合えることは感無量であります。

 ご承知のことですが1981年11月25日、大政殿が復元された記念として、石燈を寄進いたしました。今日まで道岬寺を訪れた多くの皆様が参拝下さった事はありがたいことでありました。

 その石燈を守って下さった道岬寺の御配慮のもとに、この度修行道場の東庵に移転建立下さったことは感謝に堪えません。

 1981年の石燈除幕式の時に、お集まりの皆様にこのように御挨拶申し上げました。

 「今日灯す石燈の灯が、我が祖国の平和統一を祈念する灯であってほしい。平和を祈り、戦争のため不幸にして亡くなられた方々の慰霊の灯となりますように。我が祖国と同胞への報恩と感謝の灯となりますように。」

 その時代、韓国は平和統一という言葉も言えない世の中、政治情勢でありました。私が願った祖国の平和統一は今も実現されておりませんが人類の平安と幸せのために寄与、貢献し豊かな社会、世界を創造しようという願いは本日も変わらない祈りであります。

 来年は光復60周年の年であります。経済も発展し、国力もつけた我が祖国が益々、国際的に雄飛し、世界の尊敬と存在を認められる一流の国民、国家となることを私は祈っております。

 私は在日の歴史の中で過去の不幸を乗り越え、父母と共に誇りをもって生きてきました。

 祖先の眠る霊巌、山紫水明の美しい月出山、そのふところに抱かれて生きることが出来る幸せと、父母の故郷霊巌を愛する幸せをかみしめております。

 今日、私の人生の喜びをプロデュースして下さった皆様に、月出山・道岬寺の仏縁の絆に、もう一度感謝申し上げます。

 霊巌の悠久なる発展と繁栄を祈り、皆様の平安と幸せを祈ります。