七ツ館の落盤

ラクバンだあ!
七ツ館が落盤だあ!
マリみてえに 鉱夫がすっとんでゆく
「父親(おど) けえしてけれ!」
「わらしの骨だけでもけえしてけれ!」
どよめきあって 泣いて ねがうアッパがた
それに会社の奴らなにをした
あとにも さきにも
慰霊祭のときの ほんのめくされ金だけよ
いきうめになった二十四人の
骨はいまだに それっきり
四四年の五月のことだスンだス
この山がもうかるうらには
地のそこのむかしからの骨が
ないているノス

たたかった朝鮮のひとがた

朝鮮のはたらき人(つど)―
百姓がたも 徴用されてきたス
その半島のひとがたサ
とうとうだまっておれずになって
みんなで事務所さおしかけて
「給金はふやせ!」
「配給はまともにやれ!」
おらだら こころの中で ウンと手をたたいたス
なんぼ朝鮮のひとがた 度胸ええことか!
みんなどうにも できずにいたときよ
あんまりひどい あつかいに
徴用工も どんどん 夜にげするように
なっていたどもなア

朝鮮人

将校らと会社はよ
日本人の労働者を山がりさ
かり立てた
朝鮮人がたは うむをいわさず
坑内さとじこめた
うしろぐらい やつらにゃ
あの人がたは
「ふていの やから」
いつ火がつくことか
-解放のばくだん!


光州市立美術館「花岡ものがたり展」開幕によせて

光州市立美術館が御館名誉館長河正雄氏より木刻連作版画「花岡ものがたり」を寄贈されて以来、「花岡ものがたり」の展示について、綿密に検討・研究なされ、2004年5月11日より51日間に渡って展示されると伺い、花岡の地 日中不再戦友好碑をまもる会は心からお礼を申し上げます。

光州市立美術館は、この展示に先立って、貴館編発行 「河正雄コレクション図録 2003」 に「花岡ものがたり」全57点を紹介されておられます。この「図録」は、河正雄氏が大館市立図書館・国立国会図書館・各県立図書館へ寄贈されたことにより、韓国のみではなく、日本国内でも多くの人々の鑑賞するところになっております。この「図録」による「花岡ものがたり」紹介にもお礼を申し上げなければなりません。

貴館発行の「美術館生活」(2004年2月号) に「花岡ものがたり」展示の意義が簡にして要を得て記されておりますが、 この意義は、河正雄氏の労作「人類の遺産・木刻連作版画『花岡ものがたり』」の中で強調されており、 本会もまた共鳴するところであります。

「花岡ものがたり」は、花岡事件殉難者419人の鎮魂の作品でもありますが、乱掘による坑崩落事件で生き埋めにされた日本人11人・朝鮮人11人(慶尚北道出身5人・慶尚南道2人・忠清南道2人・京畿道1人・全羅北道1人)の鎮魂もこめられていると思います。

この人々の一人一人が、侵略戦争遂行に不可欠な銅の急速増産政策の犠牲者であります。

日本国家による朝鮮人強制連行事件·中国人強制連行事件の近因は、中国全面侵略戦争拡大による国内の労働力不足によるものでありますが、その全面侵略戦争が日清戦争以降の朝鮮·中国に対する侵略の延長として発生したことを考えますと、両事件の遠因は日清戦争まで遡らなければなりません。

昨今、日本では両事件の戦争責任を不間に付し、朝鮮に対する植民地支配を正当化する風潮がみられます。本会はこの風潮に抗し両事件を追及しております。

このような状況の中で、貴館が、1992年11月の学生を中心とした抗日闘争、1980年5月の暴圧に対する学生・市民の人権·平和・民主主義擁護の闘いが展開された光州で「花岡ものがたり」展を開催される意義は実に大であると思います。

本会は光州市立美術館の「花岡ものがたり展」の成功を祈ってやみません。

2004年5月吉日
花岡の地·日中不戦友好碑をまもる会 代表 奥山昭五

新聞記事

2004年に光州市立美術館にて展示

人類の遺産・木刻連作版画「花岡ものがたり」

私は秋田県大館市(あきたけんおおだてし)には秋田工業高校1年生の時に、学校で集めた義援金を持って大火の慰問で訪れた思い出がある。1998年春、戦前(1909~1914年)に大館営林署に務めた浅川巧(あさかわ たくみ)の足跡を訪ねて、42年ぶりに大館を訪ねた。わらび座の茶谷十六(ちゃたに じゅうろく)氏から紹介を受けた大館在住の富樫康雄(とがし やすお 花岡の地日中不再戦友好碑を守る会会員)先生の案内で浅川巧の足跡を辿った後に、花岡鉱山を案内された。日本帝国主義時代の戦時下、血塗れの狂った歴史の汚点がある「花岡事件」の現場である。

花岡事件

1944年から1945年にかけて986人(内途中死亡7人)の中国人が花岡鉱山にあった鹿島組花岡出張所へ強制連行された。彼らは花岡川の改修工事、鉱滓堆積ダム工事の掘削や盛土作業に従事し、これをシャベルとツルハシ、モッコでやり通した。

作業所での扱いは過酷なもので、補導員の中には指導の名の下に激しい暴行を加える者もいて、加えて敗戦直前の時期から国内の食糧事情の悪化が彼らの上にも重くのしかかり、耐え難い暴行と空腹で精神に異常をきたす者も出てきた。「中山寮(ちゅうざんりょう)」に収容された979人の内130人が死亡し、更に暴行や栄養失調で身動きできない重症者が多く出た。

餓死か、暴行によって殺されるか、という状況の中で、耿諄(Geng Chun)大隊長ほか7人の幹部は「このままではみんな殺されてしまう。もはや1日も忍耐できない、蜂起するしかない。」と考えた。寮内の動きを調べ、蜂起は6月30日の真夜中と決定した。 しかし計画が全員に知れ渡るやいなや規制が効かない者も出てきて統制は大きく崩れ、以後の組織的行動は不可能となった。取り敢えず逃走命令を発しそれぞれが逃げたが、重症者の一群は神山(かみやま)付近で最初に捕まり、次に体の弱っている一群が旧松峰(まつみね)付近で捕まってしまい、残る主力集団も獅子ヶ森(ししがもり)山中に逃げ込み抵抗したものの食糧も水も無く力尽き次々と捕らえられてしまった。
捕まった者達は7月1、2、3日と共楽館前広場に炎天下のもと数珠繋ぎに縛られ、座ったままの姿勢で晒された。3日の夜に雨が降りそれで何人かは死なずにすんだが、多くの者が亡くなった。

死体は10日間も放置された後、花岡鉱業所の朝鮮人達の手で中山寮の裏山へ運ばれ2つの大きな穴に投げ込まれた。この後も中国人の悲惨な状況には変化は無く、7月に100人、8月に49人、9月に68人、10月に51人が亡くなった。
1945年10月6日、アメリカ軍が欧米人捕虜の解放のため花岡を訪れ、棺桶から手足のはみ出している中国人の死体を見て、その日の内に詳細な調査を開始した。こうして「花岡事件」が明らかになった。

強制連行の途中で亡くなった中国人の慰霊や花岡で亡くなった中国人の遺骨は花岡信正寺(しんしょうじ)の蔦谷達道(つたやたつどう)師により供養が続けられ、1953年に中国へ送還された。1963年11月に花岡十瀬野(とせの)公園墓地で「中国殉難烈士慰霊之碑」が、1966年5月には花岡姥沢(うばさわ)で「日中不再戦友好碑」の除幕式が行われた。

(大館市観光物産課発行「大館市の史跡」の記述より)


富樫先生は私を七ツ館にある信正寺に案内され、住職を紹介された。そして、その墓地内に建立されている「七ツ館弔魂碑」へと案内された。1944年5月29日花岡鉱山七ツ館坑内は伏流水の異常出水のため崩れ落ち、噴き出した地下水は泥流水となり、七ツ館坑の上を流れる花岡川河川敷が陥落、その浸水と落盤によって起きた事故犠牲者の慰霊碑であった。その碑の裏には日本人11名、朝鮮人11名の犠牲者の名前が刻まれていた。

「七ツ館事件」は「花岡事件」の重大な誘因となった。花岡鉱山へ中国人や朝鮮人を強制連行した動因は、アジアに対する侵略戦争拡大に伴う銅の大増産計画の遂行のためである。1944年から終戦までには、花岡鉱山では朝鮮人強制連行者が約2000名も強制労働に従事しており、花岡川の改修工事でも労役させられたが、人間の極限状態にまで追い込まれた受難史「花岡事件」の傷ましさの陰に隠れて余り知る人がいなかった。人間の尊厳が無視された悲惨な戦時下の状況を寒々と肌で感じる現場であった。

富樫先生は大館訪問記念にと「花岡ものがたり」の本を下さった。その表紙裏に「花岡ぶし」の音符と作詞が載っていた。その後の調査でわかった事だが作曲は原太郎(はらたろう)であった。原太郎はわらび座の創始者で「山有花」の作曲で知られる民族音楽家金順男の師でもある。裏扉の「花岡を忘れるな」の作品は、朝日新聞の日曜版(1970~1978まで連載)や1年もののカレンダーなどで見覚えのあった作家、切り絵で有名な滝平二郎(たきだいら じろう)の作品であった。

「花岡ものがたり」は苛酷で非人間的な労働を強いられながら、他国で死んでいった中国人俘虜を慰める鎮魂歌であり、人間性のひとかけらもなくする戦争に対する告発、人間の尊厳のために死んでいった人々を讃える物語である。この惨事を目撃した多くの人々から、事実に基づく証言をしてもらい、大衆の心をとらえる芸術として「花岡事件」を物語にした。木版画(桜の版木にて制作)と物語詩を用いて表現しようという構想が立てられ1951年出版されたものである。

その本のあとがきには「花岡事件は軍国主義日本の罪悪の塊のようなものである。これを徹底的に追及し、えぐり取ることは古い日本の腐ったカスをなくして、日本と中国の本当の友好を築く礎である。

これを曖昧に残しておくことは、軍国主義のばい菌を培っておくようなもので、再び恐ろしい戦争を引き起こすもとになる。この絵物語は平和を愛し、日本を愛し、日中両国の永遠の友好を願う人々によって、一大国民運動を起こすために作られた。あらゆる困難をおかして、闇に葬られようとしている事件の真相について、調査に調査を重ね、これを本当に活き活きとした芸術作品として表現するために、討論し、修正し、それこそ血の出るような努力が積み重ねられた。

この作品は在日華僑4万と日本の民衆の間に起こされた日中友好運動の力に支えられ、また、現地秋田の鉱山、山林労働者、農民及び民主的な団体とその運動に援助されつつ、友好運動者、画家、詩人、文学者、音楽家その他多くの人々の集団創作として生まれたものである。

これは日本の芸術運動の上に、新しい方向を切り開いたものとして、芸術史の1頁を飾るものであろう」と記してあった。私は日中を日韓、在日華僑を在日同胞と置き換えこの文を読んだ。

「花岡ものがたり」は大館で市民演劇運動を指導していた瀬部良夫(せべ よしお)(本名・喜田説治・きた せつじ 1915年生まれ)が物語詩を作詩し、版画は新居広治(にい ひろはる)が下絵の大半を仕上げていたが滝平二郎と牧大介(まき だいすけ)らが協力して彫り、3人の個性ある作家の力作によって実を結んだ。

  • 新居広治(1911~1974)は東京生まれ。
    前田寛治に油絵を学び日本プロレタリア作家として活躍した。「一等兵物語」そして「水兵物語」という50枚の木版画連作。「常東物語」「日立物語」、1970年頃からはライフワークとして「日立のおふくろ」の大連作を構想した優れた素描家である。労働者や農民大衆の生活の戦いを描くことを焦点に置いて、木版制作し記念すべき作品群を生んだ。
  • 滝平二郎(1921~)年茨城県生まれ。
    1951年秋田県横手(よこて)市で「秋田にて」、この年版画物語「裸の王様」を制作。1958年頃から出版美術に関わり水彩ペン、切り絵などによる装幀、挿し絵、絵本の制作を始めいわさきちひろ等と童画グループを結成、児童出版美術家連盟会員として活躍。
  • 牧大介(本名・下村信一 しもむら しんいち1920~1990)は秋田県毛馬内(けまない)に生まれ。
    少年時代、福田豊四郎(ふくだ とよしろう)より墨彩画の手ほどきを受け、1944年近藤日出造(こんどう ひでぞう)に彩色漫画が認められ師事。「花岡ものがたり」の作品57点の内「いでたち」を木刻し主に渉外を担当し桜の版木の調達に尽力する。

花岡ものがたりの57枚の連作の中に「たたかった朝鮮のひとがた」と「朝鮮人」という2点の作品がある。強制連行で徴用された朝鮮人の人権獲得のための戦い、解放の戦いが彫られている。共通の不条理克服のために連帯して戦うことの意味を教えている作品である。

「花岡ものがたり」は日本人として戦争に対する反省を明らかにし日本人の良心と後悔を込め「再び戦争を起こさない」という誓いから生まれた。フィクションの部分もあるが「花岡ものがたり」は歴史の評価のみならず、優れた芸術作品として表現されており芸術史の1頁を飾るものである。

私は芸術的価値を評価し、富樫先生に光州民衆抗争事件について語り、韓日、朝日の歴史についても言及した。人類の不幸を浄化し共通の祈りのために、この「花岡ものがたり」の版画作品を光州市立美術館河正雄コレクションとして収蔵し、公開したいと申し入れをした。

すぐに「花岡の地日中不再戦友好碑を守る会」代表奥山昭五(おくやま しょうご)先生から「当会保存の連作版画『花岡ものがたり』を貴館に寄贈させていただく運びになりましたことを心から悦ぶと共に、名誉この上ないことと存じております。日本の侵略戦争の実相を鋭く表現したこの作品が、多くの人達に鑑賞されることを通じて、日韓の美術文化と親善友好の深まりはもとより、日韓の平和、アジア・世界平和に大きく寄与できることを切望いたします。私達もその為に更なる前進を続けることを誓い申し上げます。」と寄贈の返事が届き私の意が通じた。

物語詩をハングルで翻訳することになったが、本文は秋田の方言で綴られており、18年も秋田で暮らした私にも難解な表現があった。そこで秋田市在住の李叉鳳(イ・ウボン)氏に指導を仰いだ。氏は1944年5月から終戦まで花岡鉱山に徴用され、花岡事件が起きたときは逃亡した中国人捜索のため山狩りに動員されたという。李氏の指導を元に友人の金栄愛(キム ヨンエ)氏がハングル版の物語詩をまとめて下さった。

そして奥山昭五、佐藤守(さとう まもる)先生等守る会会員の方から多くの資料が届けられ、本文の考察、校閲、そして助言をいただいた。心より感謝申し上げたい。

こうして人類の遺産である芸術作品の普遍的な価値を共有することとなった。木彫連作版画・「花岡ものがたり」の河正雄コレクション収蔵によって光州市民と大館市民との連帯感が育まれ親密なる交流の絆が結ばれたことを喜びとする。光州市立美術館は「祈りの美術館」として、世界に人権のメッセージを発する機能を増すことであろう。

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