見果てぬ夢
文:河正雄


1980年、我が友である西木正明氏より「オホーツク諜報船」という著作が送られて来た。彼は当時、平凡パンチの記者であった。記者の目で書かれた著作が同年9月の「日本ノンフィクション賞新人賞」を受賞した。

当時、ロマンに満ちた早稲田探検部での話を数多く聞いていたので、その延長線にある作品と理解した。その時、今に続く国際問題に視点を置く先見に頼もしさを感つつ読んだ。

根室の経済を支えた本土最東端納沙布岬より、望む北方領土海域で操業したレポート(報告)船、通称「レポ船」の話である。レポ船とは東西冷戦時代、ソ連側に掌捕されず国賊と呼ばれても、生きる為に国境を越えて操業していた船の事である。

これらを語る事は当時、タブー視される時代であった。その取材の成果を発表した気骨と、社会派作家としての原点を知り喜んだ。

2021年10月20日、朝日新聞「時代の栞」に『オホーツク諜報船』が掲載紹介された。「国境の海で、いつどんな事件が起きても不思議ではない」北方海域の水産資源を巡る中国、韓国、北朝鮮等との争奪戦がもたらす国際問題化への警鐘記事である。国際紛争に繋がる問題にフォーカス、考察したものであった。

記事の元が彼の著作である事からも、作品が歴史的に今日にも、その意義が風化せず今に生きるものであることが証明されている。

西木正明氏との交友は小学時代にまで遡る。この記事を読み懐かしさが沸々と難り切に会いたいという感情を抑える事が出来なかった。

2011年2月7日、秋田県仙北市角館町平福記念美術館での河正雄コレクション「故郷展」開幕の日に、彼は「美は国境を越える」そして私は「二つの故郷」という演題で共に記念講演をして以来、会う機会がなかった。

2014年、山梨県に続いて秋田国民文化祭が開催された。彼は、その総合プロデューサーに就任した。そして、あきた首都圏まつり2014「来てたんせ!!あきた」のイベントを催すにあたり、パンフレットに載せる激励のメッセージを記している。

『幼い頃から縁あって過ごした秋田は、私の故郷、青春のルーツであります。秋田の自然と人情の温もりは私の人生の糧となりました。
かの地で共に学んだ小学生時代からの畏友、西木正明君が「国民文化祭・あきた2014」の総合プロデューサーを任されていることは、終生の友情を誓う者として誇りであります。
この国民文化祭が故郷を離れた人々を温かく受け入れ、励まし、誇りを持てる「文化の祭」になりますことと、「故郷」をキーワードにしたコスモポリタンの祝祭としても発展していくことを祈念しております。』

その間、電話でのやり取りはあったが互いに道をすれ違っても気付かぬほどの歳月を重ねてしまった。

そして2021年12月11日、上野公園王仁博士碑前で合流し、上野精養軒で歓談した。

先ず始めに秋田広報大使として「今こんな役をしている。」と秋田米『サキホコレ』アンバサダーの名刺を照れくさそうに出した。そして彼は「母が生前、河君との関係を喜んでいた。良い友達を持って良かったね、世話になったと感謝していたよ。本当にありがとう。」と話され恐縮した。

私は「そういえば、お母さんからの書簡が何通かあると思う。」と返答した事で思い立ち、翌日にこれまで仕舞い込んでいた書簡、葉書7通と封書8通を捜し出した。その中の一通に「正明も良いお友達に巡り合えて幸せだったと思います」と書かれていた。私達の友情を喜ばれていた事を再確認させられ、喜びと誇らしさで宙に浮くような心持になった。

「人生の成功は友達である。社会で心を開き許せる友がいるならば財産である。光を当てると光は帰って来る。」との恩師の教えが甦る。

「最近、特に父母の夢を見る事が正明君にはないか?」と尋ねると「良くある」と答えた。

「ちちははの思うことのみ秋の暮れ」という与謝蕪村の句がある。喜寿の歳を迎え父母の事を思う事が多くなった。

特に育ててもらった幼少の頃や、青年期の日常などであるが、身の未熟ゆえの不徳が走馬灯の様に甦る。愛おしさど壊かしさが込み上げ潤んで来る涙で心を洗うのは単なる感傷ではない様だ。時代を共有し、共に生きた人生の深さや重さから来る感慨はひとしおである。

最近、父母が枕を共にして仲良く寝ている姿を夢に見た。生前は犬猿の仲であった両親を仲良くさせようと心を配った。電機店を開業し店舗を新築した時に、布団を新しくして父母の寝室兼居間を作りあてがった。

しかし父母の間に出来た溝は私が思っていたものよりも深く、食卓で境界を作り布団を分離して寝ている様を見て、酷く落胆したものだ。そんな仲ではあったが、夫婦別れの喧嘩を見た事は生涯なかった。その点については有り難い親だと思った。

父母の恩徳を想う時、遠くに去り行くものを近くに引き寄せ、胸に抱いて追憶、回想する事への幸せは人生の冥利である。

「コロナの為に3冊も出版する小説を発表出来ずにいる。この苦境は辛い。2022年元旦には秋田魁新報紙の一面で『見果てぬ夢』という文を発表する。紙面を送るから読んで欲しい。」と話された。

幾ら追及しても結局は十分な満足感が、遂には与えられない現実を書いたのだろうか。2021年11月3日「わらび座の灯消すな」と民事再生手続き開始決定の報道があった。私は矢も楯もたまらず「甦る秋田への愛」というわらび座へのエールを文にして同人誌「さかみち」96号に寄稿した。

「私は見果てぬ夢を描き続けて人生を歩んできた。老いて今尚、目標に向かい輝いて生きている。夢と大志があるから存在感に満たされる。活力を持って前進し続ける事が出来る。青春とは年齢ではないという事を実感している。」としたためた。

故郷秋田への想いに共感するものがあるので是非、『彼の見果てぬ夢』を拝読したいと思う。