田沢湖畔の姫観音像由来板
1985年掲示

撮影者・佐川俊也(2019年11月)
姫観音
撮影日:2021年10月28日

経緯

報告書(1950年-2025年)
田沢寺・田沢湖姫観音像
朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭 経緯一覧 
(河正雄記 2025年12月25日)

 ―経緯―

1950年(生保内小学校4年生)の時から田沢湖駅前にあった東源寺(現在は都市計画により生保内公園墓地に1984年移転)に戦前の生保内発電所工事に関わる朝鮮人の無縁墓があった。父母の言いつけで毎年その無縁仏に供物を備えたことから関りが始まる。

他にも東源寺境内の戊辰戦争犠牲者の無縁塚には他の朝鮮人無縁仏が合祀されていたことも判明する。移転前の東源寺にあった、これらの朝鮮人無縁仏遺骨は現在、公園墓地内の戊辰戦争犠牲者の無縁仏塚(柏山墓地無縁者の墓)に合祀されている。これらの事実は合祀に関わった田沢湖町で葬儀社を経営していた生保内中学校の先輩である毛江田真純氏から教わった。

1981年1月2日、生保内中学校の同期生が開いた42歳の厄除け祈願祭に招かれ出席したことで、その春に何一つ案内のなかった田沢湖姫観音を捜し訪ねた。その場所は雑草と雑木が生い茂り、道路からは姫観音の所在が判らぬほどに荒れ、放置されていたことに心を痛めた。

その敷地内に三基の石碑が建っていたが、その時は何の石碑なのか判読出来なかった。これらは犠牲者の慰霊碑ではないかと思い調査を始めたが、その行いが町の人々に届いたようで私が怪しい、好ましくない人物として風評が流れ始めた。

その秋、姫観音像建立の由来案内板が田沢湖町と溠湖仏教会の名で建てられていたことに驚きと共に疑念を抱いた。

町当局が像建立地一帯を清掃したことで道路から姫観音像が見られるようになっていた。戦前に東北電力の工事現場監督であった先達の伊藤正吉氏が姫観音脇に角木の弔魂柱を建てられていた。これは慰霊碑であると理解していたところ、敷地内にあった石碑三基と弔魂柱がその後、跡形もなく取り払われ何の痕跡も残さずに由来の案内板だけが新たに建てられたことに、町当局や溠湖仏教会の作為が私の疑心を呼び起こし調査の熱が高まることとなった。

 

1950年田沢寺駅前にあった東源寺に朝鮮人の無縁仏があったことで関わる
1985年4月20日田沢湖観光協会の呼び掛けで田沢湖姫観音供養祭が初めて執行され、参席する。
田沢湖での自殺者の供養と観光のためと高橋福治田沢湖町観光課長より説明。
1981年に田沢湖町によって建てられた姫観音像建立由来の案内板文面に疑問
を持った。そこから真相究明の調査が始まる。
1990年9月23日朝鮮人無縁仏が埋葬されていると田沢村の伊藤幹夫氏証言により田沢寺墓地に『朝鮮人無縁仏慰霊碑』建立。その無縁仏遺骨は先々代菅原宗展住職の墓に合葬したと先代菅原美展住職より説明受ける。
第1回朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭執行
仏画全和凰作『百済観音』『弥勒菩薩』2点寄贈
田沢寺奉安室にある朝鮮人無縁仏位牌に施主河正雄と書かれていたので施主となり供養を始める
しかし私の行為を強制連行や徴用などはなく、朝鮮人の犠牲者などはいないのに欺瞞と偽善の妄言作り話で町の平安を乱す行為だと誹謗中傷を一斉に受けるようになる
1991年6月12日田沢寺にて三度目の調査訪問で「姫観音像建立趣意書」を発見。その『付言』にて工事犠牲者の供養が明記されていた。
1991年韓国政府発表日本国厚生省の秋田県覚書官斡旋徴用者名簿「朝鮮人労務者に関する調査」にて先達発電所関係の実態確認
1991年8月13日朝日新聞が全国版で報道
1991年9月22日第2回姫観音並びに朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭・田沢湖畔及び田沢寺
(高橋福治氏から姫観音供養を依頼され引き受ける)
1993年8月11日第3回姫観音並びに朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭・田沢湖畔及び田沢寺
1994年5月18日夏瀬ダム工事での生き証人・横須賀在住李用鎮氏の証言を得る
1994年11月1日秋田県教職員組合発行「平和教育読み物資料集」に『姫観音』収録
1994年11月3日第4回姫観音並びに朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭・田沢湖畔及び田沢寺
1995年10月22日第5回姫観音並びに朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭・田沢湖畔及び田沢寺
1996年11月3日第6回追悼慰霊祭・田沢寺田沢湖畔姫観音慰霊祭
1997年10月23日第7回追悼慰霊祭・田沢寺田沢湖畔姫観音慰霊祭
1998年7月1日『縁一朝鮮人無縁仏に捧げる』を出版
1998年11月18日第8回朝鮮人無縁仏慰霊祭、田沢寺と田沢湖畔姫観音前
1999年3月2日~3月5日韓国霊巌郡霊巌邑三湖里自宅にて先達発電所強制連行者発見 曺四鉱氏と面談証言を得る。
秋田朝日テレビ伊藤玲子DRと秋田県朝鮮人強制連行真相調査団事務局長、野添憲治と共に
1999年6月23日NHKラジオ深夜便出演『もう一つの強制連行』午前1時15分-2時 インタビュー(増子有人アナウンサー)放送
1999年7月19日光州文化放送制作ドキュメント放送『時代の人物・河正雄の祖国愛』
1999年11月11日10周年記念 第9回田沢寺朝鮮人無縁仏慰霊祭 よい心の碑建立
朴炳熙『平和の鳩』ブロンズレリーフ2点寄贈
墓地整理・全和凰作『太陽と花』田沢寺に寄贈
2000年11月11日秋田県田沢寺及び田沢湖畔姫観音法要
曹渓寺恵信師を始めとする韓国僧侶150名訪問供養
2001年6月19日秋田県田沢湖畔姫観音及び田沢寺朝鮮人無縁仏法要、韓国仏教会120名訪問供養
2002年2月田沢寺にて韓国仏教会法要、100名
2004年10月2日第10回田沢寺朝鮮人無縁仏追悼慰霊15周年記念慰霊式
2008年4月11日光州KBS制作『在日の花』河正雄ドキュメント放送
2015年10月12日戦後70周年、日韓国交正常化50周年記念、第11回朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭、
田沢寺姫観音供養会・田沢湖畔
田沢寺に四明張孝友作仏画2点を田沢寺に寄贈する。
2019年5月23日田沢寺本堂桑原翠邦書『仏光普照』の掲額修復して納品する。
2019年11月10日第12回田沢寺朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭、姫観音開眼80周年記念
(主催・田沢湖姫観音像開眼80周年実行委員会)
2020年11月10日田沢寺朝鮮人無縁仏追悼慰霊および姫観音法要・清掃奉仕(仙北市民有志)
2022年~2025年まで毎年奉仕活動
2021年10月28日ふるさとの碑・平和の群像建立寄贈除幕(田沢湖畔・御座石公園にて)
2025年8月13日秋田朝日テレビ『トレタテ!戦後80年河正雄さんインタビュー』神下芽衣DR
午後6時25分~50分放送
2025年11月24日戦後80周年、日韓国交正常化60周年記念、
第13回朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭、
田沢湖姫観音・よいこころの碑読経・献花
田沢寺本堂にて法要・慰霊祭
(主催・朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭実行委員会)
2025年12月25日これまでの経緯の所感
姫観音由来板を史実に基づく内容で書き換えること。理由は仏作って魂入れず、仏の教えに背く考えから。
地元有志が為されている姫観音、田沢寺の朝鮮人無縁仏供養や清掃が継続されることを念願し脱稿とする。

田沢寺に於ける朝鮮人無縁仏慰霊祭に寄せて(2025年11月24日)

戦後80周年日韓国交正常化60周年記念第13回朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭挨拶

 人間は忘れる動物です。戦後、私達は実に沢山の大事な事を忘れ、捨てて参りました。節目に忘れてはならない事を、思い返して立ち止まり回願する事、内省し想いを新たにする事は、私達の未来に多くの豊かな物をもたらすと思います。

1937年より行われた国策工事である、田沢湖を水源とする周辺の発電所工事には多くの朝鮮人が徴用されました。

「1946年厚生省「朝鮮人労務者に関する調査」(秋田県覚書)」の記録があります。角館出張所堀内組先達出張所における官斡旋徴用者名簿で、徴用工307名の出身地を調べると、慶尚南道3名、全羅北道1名、無籍3名、不明1名で、残る299名は父母の出身地である全羅南道でありました。父母の故郷、霊岩からは12名もの徴用者がおり、私はその内1名の生存者を捜し当てました。

1999年、秋田県朝鮮人強制連行調査団の野添憲二団長、秋田朝日テレビスタッフの皆さんと共に、85歳になった霊岩の曺四鉉氏の家を訪れました。曺四鉉氏の証言によると「先達で霊岩の隣村の若者が作業中に怪我を負って亡くなった。資料では終戦直後に退職手当金が支給された事になっているが、私は一銭も貰っていない。霊岩に帰ってから今日まで貧困に喘ぎ、今は病気で病院通いをしている。補償して欲しい。」と訴えられました。

「先達では労働条件の劣悪さから逃げ出す人がいたが、すぐに捕まって殴られた。それでも逃げ出す人は後を絶たず、消息が無くなった。今は、秋田に行けるのであれば田沢に行ってみたい。田沢は忘れられない第二の故郷でもある。」と語りました。その翌々年、曺四鉉氏は悔恨の言葉を残して亡くなられました。

 私達は1990年、田沢寺にて初めて慰霊祭を行い、不幸にして亡くなられた朝鮮人無縁仏慰霊碑を建てて慰霊祭を開催致しました。

その時「人類愛を持って善い心で私は慰霊したい。」と佐藤勇一会長に話した事から、1991年「田沢湖町よい心の会」が結成されました。1999年、田沢寺に「よい心の碑」を建立し、姫観音供養、そして田沢寺で慰霊祭が行われて参りました。

朝鮮人の霊を慰める「善い心」の深い意味は人道的、道徳的であり、慈悲の心に満ちた崇高なものであります。慈悲の心を架け橋として、日韓の人々が理解を深め合う事が必要です。

 本日、田沢寺に於いて戦後80周年、日韓国交正常化60周年を記念しての第13回朝鮮人無縁仏慰霊祭が開催出来ますことは、善い心の発露と喜びます。

 これまでの慰霊祭の経緯を述べますと、田沢湖町よい心の会主催で1990年より2015年まで戦後70周年、日韓国交正常化50周年記念の第11回まで毎年開催されました。しかし2017年に私が心臓病の手術、2020年にコロナ流行と継続して働くことが出来ず心残りでありました。

しかし、2019年には田沢湖姫観音像開眼80周年実行委員会による第12回田沢寺朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭、2020年からは仙北市民有志が引き継がれて姫観音、田沢寺の『よい心の碑』前での清掃を行い、供養会を実行されてきました。善い心の市民が自主的に営まれ麗しい話です。

振り返れば35年の間、世界は日韓の間にも日本国内にも絶え間ない政争、戦争、災害など事件がありました。私たちはこれらの渦の中でもブレることなく一貫した真心で障害を乗り越え、本日の供養会を挙行できますことは、皆様の善い心の賜物と讃え感謝致します。

 石破茂前首相の戦後80年の節目に、国民の皆様と考えたいという10月10日の所感『なぜ敗戦は必然だったのに、どうしてあの戦争を避けられなかったのか。

偏狭なナショナリズム、差別や排外主義は許してはならない。全ての基盤となるのは歴史に学ぶ姿勢だ。過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のリベラリズム、健全で強靭な民主主義が何よりも大切だ。』というメッセージは学び磨かれた善い心の鏡であり、その見識を評価します。。

世界広しといえど、よい心の会という名の市民の会は何処にもありません。仙北市民と行政が一体となって育まれた尊い善い心の成果であります。

この成果は世界のため、韓日のため、平和と友好の礎として皆で育て、分け合わねばなりません。この尊い営みを善い心の皆様が守り育てて行かれることを念願、希求します。

最後に本日の慰霊祭開催にあたり田沢寺様、熊谷真一郎先生を始めとする

 関係者の皆々様に感謝申し上げます。慰霊して下さった皆々様方の安寧と共に世界恒久平和の実現に向けて、力を尽くして下さる事を祈念し、私の挨拶と致します。

2025年11月24日

田沢湖町よい心の会会員 河正雄

記念誌

韓国全羅南道霊岩郡三湖面の曺四鉉氏宅を訪ねて
1999年3月2日~5日

【徴用工の証言】秋田朝日テレビ 「田沢寺第9回朝鮮人無縁仏供養・曺四鉉氏を訪ねて」
秋田朝日テレビ1999年3月2日~3月5日に収録
曺四鉉氏韓国で初めての生存者発見 光州日報の記事

曺四鉉氏と面談
1999年3月2日~5日

資料映画:国営開墾地

国営開墾地

十字屋文化映画部作品 (1939年製作と思われる)※茶谷十六先生提供
農林省田沢疎水国営開墾事務所所長 安部義正
指導 製作:田中喜次
脚本:岡秀雄
演出撮影:小林米作

姫観音碑文

姫観音像建立趣意書発見・1991年6月11日

朝鮮人徴用工リスト

新聞記事

1990年の記事

1991年の記事

1993年~1995年 の記事

宿舎跡調査(1999年)

2000年~2015年 の記事

慰霊祭

姫観音慰霊祭(1991.9.22)
姫観音慰霊祭(1993.8.11)
朝鮮人無縁仏の霊に捧げる「よい心の碑」建立記念追悼慰霊祭(1999.11.11)
田沢寺での朝鮮人無縁仏追悼慰霊祭(1990.9.23)

姫観音像建立80周年記念法要
(2019年11月10日)

다자와코 희메관음상 「田沢湖姫観音像」開眼80周年記念法要並びに直会の御案内

「田沢湖姫観音像」開眼80周年記念法要直会の挨拶

田沢湖よい心の会会員 河正雄

 関係ない話とは存じますが挨拶の前に話をさせて下さい。昨日(2019年11月9日)の事です。
 釜山のドキュメント監督辛ナリさんが昨年から密着で私の映像を撮影しており、2014年4月に私の墓所と定めた真言宗豊山派青龍山西光院(川口市戸塚2-6-29)に伺いました。
 途中の壇信徒会館密厳閣前広場で落ち葉払いの掃除をしている愛くるしい瞳の少年(小学2年生)と少女(小学6年生)のトルコ人姉弟に出会いました。
 密厳閣前にはブロンズの竹箒を持った掃除をしている地蔵仏が鎮座している。姉弟は、その地蔵仏に倣って落ち葉掃除をしているのだと言うので私は感心してしまいました。
 その事を韓国語で辛ナリ監督に通訳して伝えたところ、少女が「韓国語ですね。私、韓国と韓国人が大好き!」と言った。最近、韓日間で嫌日、嫌韓の国民感情を苦々しく思い、沈んでいたので私の心に陽射しのような温かさが宿りました。
 少女が「おじさん、何しに来たの?」と問うて来たので「墓参りに来たんだよ。」と答えたら「私達におじさんのお墓の掃除をさせて下さい。」と言うではないですか。そして水桶と柄杓とタワシ、雑巾の道具を揃えて墓を洗ってくれました。この少年、少女の心根の美しさに私は心を激しく揺さぶられてしまいました。
 本日(2019年11月10日)田沢湖に参り、姫観音前の広場や田沢寺の慰霊碑広場の草刈り、掃除を役員の皆さんが総出でされ、姫観音の汚れを取る作業を佐川俊也さんがされたことの報告を受けました。
 佐川さんは姫観音の汚れを落とした後、満足がいかなかず気になって夜寝られなかったといいます。そこで今朝早く起きて再度水洗いをしたという話を聞かされ、有難さに深く頭を下げました。
 私は小学4年生の時から無縁の仏様を供養して参りましたが、心ある人達がこうして守って下さっている事を知り、これまで供養して来た祈りが通じているのだと思うと安心して眠る事が出来るのだという心境になっております。
 姫観音供養祭の始まりは1985年4月20日、田沢湖町と森沢健亮東源寺住職、菅原宗美田沢寺住職、三浦幸三世話人、高橋福治幹事様の呼び掛けで始まりました。
 観光客の安全と姫観音の供養という主旨でありました。その時に槎湖仏教会と田沢湖町の連名で建てられたのが姫観音前の案内掲示板であります。
 私はその内容の記述に疑問を抱き、姫観音建立の調査を始めました。その過程で建立趣意書が田沢寺にあったこと、そして朝鮮人無縁仏が田沢寺に埋葬されていたことが判りました。
 この事実から1990年9月23日、田沢寺に朝鮮人無縁仏慰霊碑を建立して追悼慰霊祭が執り行われました。
 この時に「田沢湖よい心の会」が結成され、会の事業として法要を続けて参りました。そして1999年には10周年を記念して「よい心の碑」を建立し、これまでに11回の慰霊祭が執り行われて参りました。
 私の生年月日は1939年11月3日です。今年で満80歳を迎えました。そして姫観音の建立は1939年11月10日です。80年を共に生まれ共に生きて来た思いで仏縁を感じずにはいられません。
 本日は「田沢湖姫観音像」開眼80周年記念法要実行委員会主催で田沢湖姫観音像前で、そして田沢寺朝鮮人無縁仏慰霊碑、よい心の碑前で意義のある慰霊法要が執り行われましたことを心より喜んでおります。
 ここに至るまで仙北市や市民の皆さん、槎湖仏教会、在日韓国民団や在日朝鮮総連の皆様方、報道関係者や全国の心ある人々のお祈りのおかげと感謝しております。
我々は何故祈るのか、何故慰霊するのか。我々が生きて来た20世紀は不幸な戦争の時代でありました。日本の日韓併合時代・日中戦争、太平洋戦争・解放後の朝鮮戦争による祖国の分断、未だ統一が出来ず戦争状態にある苦渋と苦痛に満ちた戦争の世紀であったと言えます。
在日は人間らしく生きるために、人権を勝ち取る為に先頭に立って来た誇るべき民であります。20世紀の不幸な歴史の中で、祖国と痛みを分け合った在日同胞犠牲者達を永遠に慰霊追悼する事は、韓民族のヒューマニズムの根幹が豊かで、澄んだ鏡である実証(しるし)であります。
関東大震災での朝鮮人犠牲者や第2次世界大戦の犠牲者らの御霊を忘れない事、思い出してあげる事、そして感謝の心を持って祈る事が、何よりの供養であります。それは同時に在日同胞が歩んだ苦難の歴史が風化しないように、歴史の真実が埋没しないように子々孫々まで語り継こうという願いが込められているのです。
「歴史は繰り返す」と申します。最近は韓日、朝日の関係やアメリカを始めとする世界的な混乱には、再び不幸なる気流が渦巻いている気配を感じます。
最近、祈る力が弱まっているように思えます。我々は20世紀の傷みと、過去の歴史に、じっと耳を澄ませ声を聞く事が出来る世代であります。
慌ただしい時代の流れの中で過去を忘れ今を生きることは容易いことです。後の世代に我々が正しい史実と想いを伝えなければ単なる歴史の一コマに過ぎなくなり、更には後の世代にそれを伝えることは不可能になるでしょう。
過去の傷みと教訓が示す事象に注意力を持って見続け、正しくその史実を伝える努力を怠ってはなりません。我々の世代が持つ傷みを後進と共有し、薄れて行く記憶や体験を語り伝えていく事が使命であります。
未来に希望を託せるように、過去への追悼と祈りを継承していく事が、ひいては若人を育てる大きな力となると思います。平和なくして幸福はありません。過去の不幸を繰り返す愚行はあってはなりません。
姫観音はその誓いの為に人々の善意を以て建立されたことに感謝し、よい心で善行を積んで来た人達から学び、共に平和への決意を共有したいと思います。
皆様の御健康と平安を心より祈念して御挨拶とさせていただきます。カムサハムニダ(感謝します)!

2019年11月10日直会にて・田沢湖レイクリゾート

サルプリ舞・金 順子(2019.11.10)
撮影・朴 哲(2019年11月10日)
撮影・朴 哲(2019年11月10日)

姫観音供養と清掃・仙北市民有志
(2020.11.10)

1939年頃の田沢湖畔風景 
伊藤孝祐氏(1895年-1975年)写真作品

秋田駒ケ岳噴火 (1970-1971年9月17日)

2013年8月豪雨による先達地区土石流災害

田沢湖・朴哲撮影

関連:故郷秋田の紹介(辰子飛翔の像と飲水の像)

今村写真帖を世に問う(日中戦争・南京事件)

2007年7月13日 今村写真帖の学術研究日中戦争記録の写真 大学共同利用機関法人人間文化研究機構、国立歴史民俗博物館との共同研究始める。

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花岡ものがたり

七ツ館の落盤ラクバンだあ!七ツ館が落盤だあ!マリみてえに 鉱夫がすっとんでゆく「父親(おど) けえしてけれ!」「わらしの骨だけでもけえしてけれ!」どよめき…

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「田沢湖祈りの美術館」

経緯1980年田沢湖畔白浜に美術館建立用地3000坪購入する。1985年9月5日李方子妃により「田沢湖祈りの美術館」の命名揮毫を賜る。人間国宝呉玉鎮篆刻…

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田沢湖畔・飲水の像・ふるさとの碑(平和の群像)

経緯1990年12月5日台湾澄清湖畔に「辰子飛翔の像」ブロンズ像建立。田沢湖町と高雄市友好姉妹湖記念締結事業を支援する。1991年10月28日田沢湖畔白浜に田沢湖町・高雄…

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聖天院・在日韓民族無縁の霊碑を守る会

埼玉県日高市の高麗山聖天院隣接地に「韓民族慰霊碑」建立。2004年には「無縁霊碑を守る会」発足する。

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道岬寺

経過1981年11月25日大雄宝殿前石燈寄進①・130万ウォン2004年9月5日大雄宝殿前石燈寄進②・3000万ウォン2007年3月2日大雄宝殿本尊盧遮那仏像寄進1億ウォ…

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姫観音ギャラリー

撮影者 写真作家:佐川俊也(2019年11月10日)

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よい心の碑建立

「朝鮮人犠牲者追悼碑」制作委員会資料集よりよい心の碑建立の経緯よい心の碑を田沢湖畔姫観音の傍らに建立する計画を立ててから十年が経った。しかし町当局や槎湖仏...

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夏瀬ダム 強制連行の記録・徴用朝鮮人50年目の証言

李用鎮氏の証言記録夏瀬ダム1993年3月25~26日1993年3月25~26日神代発...

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アカシアの街、小坂であったこと

アカシアの街、小坂であったこと河 正雄―浅川巧の足跡を訪ねて―浅川巧の生誕地(山梨県北杜市高根町)では浅川伯教・巧兄弟を顕彰する資料館建設が着工された。2...

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田沢湖姫観音像

田沢湖畔に姫観音が建立されたのは私が生まれた1939(昭和14)年11月のことである。その姫観音像に刻まれている碑文の主旨は玉川の毒水が田沢湖に入り込んだ為、死滅した魚と湖神・辰...

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ナザレ園

ナザレ園ナザレはキリストの聖地。父ヨセフと母マリアの故郷である。その名を冠した施設が日本と韓国にある。茨城県那珂郡瓜連町の社会福祉法人ナザレ園 (会長:菊地政...

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桑原翠邦の書

2018年10月26日、山梨県甲府市居住の書家、峡山・植松永雄先生、妻・尹昌子、長女・河祐妙を連れ立って秋田県仙北市田沢湖田沢にある曹洞宗田沢寺参拝に赴いた。 植松先生が「ふるさ...

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千葉治平(1966年第54回直木賞作家)

干葉治平(1921年~1991年)、本名は堀川治平という。1921年、田沢寺の在る秋田県仙北市に生まれた。昭和15(1940)年、秋田工業高校電気課を卒業後、南満州工業専門学校を卒...

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2015年姫観音慰霊祭・ 朝鮮人無縁仏追善供養に寄せて

今年は戦後70周年、日韓国交正常化50周年という節日の年であります。人間は忘れる動物です。戦後、私達は実に沢山の大事な事を忘れ、捨てて参りましたこの節日に忘れてはならない...

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歴史は繰り返す

《出典》私塾清里銀河塾2019.05.01発行:令和を迎えて「仏光普照」花火 秋田県仙北市田沢湖生保内に住んでいた家の向かい側に「佐藤新聞店」があった。佐藤新聞店...

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