伝王仁墓

1998年5月9日に開かれた伝王仁塚大阪府史跡指定60周年記念式に出席し、その記念誌に「仏縁」という文を寄稿した事がある。

『1994年6月23日のことである。

「もしもし東京王仁ライオンズクラブ第20期会長のハ・ジョンウンと申します。枚方市社会教育課のご紹介で電話しました。

実は我がクラブで王仁塚参拝の旅行例会を企画し参拝記念に植樹が出来ないものかと枚方市に相談したのですが、大阪府管理史跡内には植樹はできないと断られました。

しかし、地元の王仁塚の環境を守る会と一度相談してみて下さいといわれ電話をした次第です。王仁塚にはムグンファ(ムクゲ)が美しく咲き誇っていると聞いておりますがどのように植樹されたのでしょうか」

吉留さんの返事はお役所のように事務的だった。「枚方市のお返事の通りです。しかし、『王仁塚の環境を守る会』が結成され今年は十周年となり、八月の納涼ムクゲ祭の記念行事として宝塚王仁ライオンズクラブが参道にムクゲの植樹を計画されておりますので宮本会長様をご紹介しますから相談してみて下さい。」

「あなたのハ・ジョンウンとはどのような漢字をかくのですか。」

「河正雄(カワマサオ)と書きます。」

その時、一瞬、吉留さんの声が変わった。

「一寸まって下さいよ。…そのお名前は数年前、どこかで見たような記憶があるのです。

韓国全羅南道霊岩のお寺の大きな石塔に刻んであったのが河正雄でした。もしかしたらあなたは。」

「そうです。道岬寺の石塔です。私は在日二世ですが父母の故郷が霊岩です。十数年前、失火により大政殿が焼失し再興された時寄進したのがその石塔です。」

吉留さんは記憶を辿り旧知の懐かしい人に語るかのように「1987年韓国霊岩の王仁廟竣工式に出席した時、道岬寺の門前宿に泊り、早朝散策の為にカメラを持っていなかった事で石塔に刻んであった、あなたのお名前を鮮明に記憶していたのでしょうね。」

電話の向こうにいる吉留さんの声が震えていた。高ぶり潤んでいるように私は感じられた。

「このような出会いを仏縁としか申せませんね。」私はそう答えるのに精一杯で、万感詰まる思いであった。

こうして話はトントン拍子に進み、兄弟クラブの宝塚王仁ライオンズクラブと東京王仁ライオンズクラブ共同事業のムグンファ記念植樹が王仁墓参道で行われ、私の願いが叶ったのである。

吉留さんは後日「王仁博士のご縁で、河さんとこの良き巡り合せに運命づけられていたのだと思います。韓国の石塔との出会いが今回のムクゲ記念植樹事業を成し得たと思います。」と私と会うたびにムグンファの成長報告を寄せながら述懐している。

訪ねた人そして叩いた門が間違いなかった有難さと幸運を人々は御縁という。仏縁に感謝するのみである。

我がクラブは23年前と8年前に霊岩の王仁廟に桜の木を記念植樹し、今、見事な花を咲かせている。

「王仁塚の環境を守る会」の御尽力により、伝王仁墓参道に記念植樹したムグンプアは、王仁博士縁りの地、韓国霊岩と枚方市に兄弟の契りを結んだ永遠の友情のシンボルとして咲き誇り、子々孫々まで語り継がれ守り伝えられる事であろうと思う。』

 王仁塚の環境を守る会より2018年総会・伝王仁墓大阪府史跡指定80周年記念行事の案内があった。

2006年10月14日、日韓両国の文化親善協会共同事業として王仁塚に百済門を建立に賛助して、竣工式出席以来の訪問である。

2018年5月11日前夜からの大雨であったが、守る会はいつもの王仁塚の清掃を終え、第34回2018年次総会を開いた。その際に吉留一夫会長が勇退された事を知った。

 社会派写真家の吉留さんは1979年枚方市藤坂東町に引越して来られ、王仁塚と出会う事となった。

その時、王仁墓の荒廃ぶりを目撃して呆然自失した。墓所は雑草で埋まり、史跡を記念した石碑の前には捨てられた空き缶やゴミが山積していたのだ。王仁墓を示す案内板や標識すら見当たらない事に心を痛めた。

王仁の業績と枚方に骨を埋める賢人のロマンに感動した吉留さんは、1980年に韓国旅行をした際に国花がムクゲである事を知り、王仁墓の参道にムクゲの花を植えて、王仁の霊を慰めようと考えた。

1985年、地元有志を組織し、王仁塚の環境を守る会を発足、事務局長となり、王仁墓周辺の清掃やお祭り行事を開催した。

史跡を守り次代に受け継ぐ活動を始め、霊岩の「王仁文化祭」にも参加し、市民交流活動を続け貢献した。

80周年記念式場で吉留さんと再会する事が出来、仏縁を更に深く感じた。その身体は一回りも二回りも小さくなっており、癌との闘病中であると力が無かった。

「歩けなくなった。もう霊岩に行けなくなってしまった。」とか細く話された。「これまでお疲れ様でした。ありがとうございました。」と挨拶をしたが虚ろな目で頷いただけであった。会場に吹き込む大雨の中、震えながら式典に参加している姿には使命を全うしようという強い意志と誇りが見えその姿が尊く思え頭が下がった。

当日、式場には120余名が集まり、墓域内の会場はごった返してはいたが、地元住民の参加が少ないという声も聴こえ、淋しく思った。

近くにある特別史跡百済寺跡、百済神社など百済文化史跡をリンクし、文化財区域として聖域化し、育ち行く在日2世、3世達、そして日本の青少年に古代韓国の歴史的由来と日本文化のルーツを教育する、生きた学習の場となって、発展的な事業になる事を祈念した。

式典を終え、記念行事のハイライトとして世界的に活躍されている書画家・小林芙蓉先生の揮毫パフォーマンスがあった。厳かな笙の音曲に導かれて登場され、気魄を込めて「天地人」と書かれた。

「男性の字の様でしょう?」と小林先生はマイクで話された。気が漲る力強い揮毫を神霊に奉納され、歴史を刻まれた。

小林先生とは数多くのありがたい出会いがあった。特に霊岩王仁文化祭で、王仁廟に小林先生が「千文字」を寄贈奉納した事は最大の慶事であった。マイクが向けられたので千文字奉納の話を報告した。その時の献呈辞が回顧する記録として残っている。

『献呈辞

王仁博士の故郷、霊岩に待ち焦がれた春が来ました。春は宇宙の生き物全てが復活する季節です。美しい桜の花が咲く霊岩は望郷の里、古からの郷愁の里であります。桜はその復活を彩り、祝う人類の喜びの象徴でもあります。

 王仁博士は桜の化身となって春を届けて下さる神仙であります。春爛漫の善き日に2006年王仁文化祭に参席する為に、私達42名は日本から美しい霊岩を訪問致しました。

 皆様との出会いは御縁であり大変、幸運であり、光栄な事であります。本日、王仁文化祭10周年を祝賀し、小林芙蓉さんより王仁博士が日本にもたらした「千字文」を報恩の真心を込めて書いた屏風を献呈致します。

 そして韓国と日本が兄弟であり、文化と歴史を共有する永遠なる友好の証となりますよう神仙太極庭苑をNPO法人日本ガルテン協会が友愛を込めて寄贈します。

 その庭苑と王仁墓域に日本にもたらされた悠久なる文化の伝道者である王仁博士の偉業を讃え、報恩と感謝の心を込め、日本での私の故郷秋田県が誇る日本国指定天然記念物角館の枝垂桜20本を記念植樹します。

 子々孫々、春にはこの鳩林洞の王仁廟に善男善女が集い、桜の生長を楽しみ友情を深めましょう。月出山の遥か彼方、東の国日本で眠る王仁博士を偲び、世界平和と人類の安寧を祈念しましょう。私達の祈りは、王仁博士の願いであり、祈りであると思います。

 2006年王仁文化祭を慶祝し、日本との更なる友好と親善交流の絆が深まりますように、そして霊岩郡の永久なる発展を祈念して献上致します。

2006年4月8日
角館枝垂桜植樹並びに神仙太極庭苑企画推進者 河正雄』

記念行事が全て終わり、2018年王仁文化祭に出席され、霊岩郡立河正雄美術館を訪問下さった山下寿士枚方市副市長とお会いした。

霊岩で枚方市の人的交流と共に美術文化交流を提案した所、「それは良いですね。」と答えられた事で、私の枚方市訪問の機会に親交を深めたかったからだ。

一通り話が済んで、長崎の本島市長の事件を語ったところ、「その右翼の青年は枚方市長にも抗議の街宣活動をして、その時私が市長秘書をしていたので大変苦労しました。」と話された。

世間は狭いものだと様々な市井の話を3時間に及ぶ会話で過ごし、心が満たされ軽くなった。

雨は止んだが、大雨の為にJRの列車が運行遅延となり帰宅には難儀したが、幸福感に満ちた旅であった。

後日、本文を病気見舞いを兼ねて吉留さんに送ったところ、2018年10月1日に電話があった。

「河さん、吉留です。この文を読んで生き返りました。中日ドラゴンズの星野監督、最近では沖縄の翁長知事も膵臓癌で亡くなられたので次は自分の番かと遺書を書かねばと思っていたところでした。とても元気づけられました。」と重病人とは思えない嬉々とした感情が電話越しにも伝わって来た。

「まだ遺書を書くには早過ぎますよ。」とエールを送ったものの、病が病だけに一抹の不安と寂しさは消えなかった。