経緯

1990年12月5日 台湾澄清湖畔に「辰子飛翔の像」ブロンズ像建立。
田沢湖町と高雄市友好姉妹湖記念締結事業を支援する。
1991年10月28日 田沢湖畔白浜に田沢湖町・高雄市友好姉妹湖提携記念「飲水思源」ブロンズ像を建立支援する。
1995年8月15日 戦後50年を記録したドキュメンタリー映画・呉徳洙監督「在日」人物編の中で30分出演。角館と田沢湖など、故郷と母校、恩師を撮影する。
1999年 韓国文化放送MBC制作「時代の人物」の1時間プログラム、河正雄のドキュメンタリー番組にて秋田の故郷が紹介される。
2008年 韓国放送公社KBS制作「在日の花」の1時間プログラム、河正雄のドキュメンタリー番組にて秋田の故郷が紹介される。
「在日の花」放送後、韓国放送協会ドキュメンタリー作品大賞を受ける。
  韓国内で田沢湖の映像が話題になりイ・ビョンホン主演のKBSテレビドラマ「アイリス」のロケ地となる。
(証言者:撮影監督 李根焄氏・通訳及びコーディネーター 李洋秀氏)

 

辰子飛期の像と飲水の像

台湾高雄市の澄清湖と田沢湖が友好姉妹湖の関係を結んだ。その時、友好の印として田沢湖町から澄清湖に「辰子飛翻の像」を贈り、台湾高雄市からは「飲水の像」が田沢湖町に贈られて田沢湖畔白浜に建立された。1990年12月5日、贈呈記念行事の為、私は田沢湖町の方々と高雄を訪問した。

澄清湖で除幕式のセレモニーが終って祝賀会場に向う湖畔の路すがらの事である。私には面識がなかった田沢湖町の方が私の肩を叩いた。「あなたは正雄さんでしょう。私はあなたのお父さんやお母さん、そして叔父さん(林泰福)を良く知っておりますよ。君の子供の頃、5、6才位だったと思う。君と先達の馬形の飯場で会っているのだよ。あなたは眼の大きい子でよく覚えている。

その飯場であなたの父母から朝鮮のお正月料理を御馳走になった事がある。今でもその珍しさと美味しさは忘れられない。君に話しておきたい事があるから今度田沢湖に遊びに来なさい。」と話され、そこが台湾である事を忘れてしまった。

「私は田沢の出身で伊東正吉という者だが、当時東北電力に務め先達の謎道工事の現場監督をしていた。昭和20(1945)年2月に父が亡くなったとき、葬式のごちそうだといって、魚とか肉などを仏壇に上げてくれ多くの朝鮮の人たちが、野辺に送ってくれた事が忘れられない。」と語られた。人は異な所で出会い異な因縁もあるものだと記憶を辿ってみたが伊東さんの記憶はない。

15年前(1975年)に亡くなった父の先達発電所工事現場での暮らしの事や私の子供時代の事、徴用で働いている我が同胞の事など知りたくなり「今度、田沢湖に遊びに行きますからその当事の話を詳しく聞かせて下さい。」と約東をした。

翌年、伊東正吉氏を訪ねたところ手術され入院しているとの事。翌々年、退院されたとの事で田沢湖畔のレストハウスで再会したが、以前お会いした伊東正吉氏とは思われぬ程よそよそしい態度であった。

高雄では、先達の朝鮮人飯場の事などを話してくれると期待したのだが人が変わったように口を固くして多くを語ろうとしない。語りたくないという態度であった。

一つだけ私はどうしても聞き出さなければならない事があった。

「伊東さん、先達の発電所工事現場で働いた人々は徴用された朝鮮人でしょう。事故などで亡くなられた方々もいたのでしょう。」と聞いたが「そんな話は聞いたことがない。先達発電所工事現場には徴用で働いた方や亡くなった朝鮮人は一人もいなかった。自分は知らない。」と答えるだけであった。

しかし私の執勘な質問に固い口を開いた。「田沢寺復興(1970年)の時、本堂前に全国無縁仏の塚を作った。後に、田沢湖周辺に埋葬されていた無縁仏をまとめ祀った。先代菅原宗展住職から田沢寺に朝鮮人の無縁仏が埋葬されている事は聞いて知っていた。先達川導水路工事では事故はなかったが玉川導水路工事で事故があり2、3人が亡くなっている。その時の資料は秋田県庁にあり東北電力や工事をした組が持っていると思う。」この日(1992年1月11日)の証言は録音し、保存されている。

その翌年、伊東正吉氏が亡くなられたことを町の人から聞いた時は出会いの機が遅かった事と大事な証言者を失った事を悔んだ。姫観音の後脇には「嵯湖姫観音昭和56(1981)年献弔柱者伊東正吉」と書かれている墓標が建てられていた。

生前、犠牲者の為に伊東氏が建立したものだが、この供養柱は田沢湖を見つめながらこれから何を語るのであろうかと思いきや、いつの間にか片付けられていたのには余りにも無情で失望した。

田沢湖畔白浜に建立された飲水の像

田沢湖と友好姉妹子である台湾・高雄市澄清湖に建立された辰子飛翔の像