2025霊岩王仁文化祝祭『王仁賞』を受けて

霊岩郡広報大使 河正雄

―韓国で報道された『王仁賞』選定―

 2025年3月12日韓国で発表された各社新聞記事の要約である。

 『全羅南道霊岩郡は3月12日、‘2025王仁文化祝祭’の象徴として『王仁』に東江河正雄氏を選定したと発表した。また、今年から初めて新設される王仁陶芸家に姜錫永氏が選ばれた。

霊岩郡は毎年、韓国または霊岩郡の発展に貢献した人物、後学養成に貢献した人物、郡守が公益的に地域社会的に適合性を考慮し『王仁』を選定している。

霊岩郡は、王仁や各分野の専門家が日本に渡って様々な先進的な文化財を伝えた内容を正しく広めるため、今年から王仁だけでなく陶芸家、金属工芸家、文学・芸術家、科学者などの分野別専門家を各1名ずつ選定できるように拡大した。

住所地も霊岩郡に限定せず、大韓民国国民であれば可能なように改定され、『王仁』の賞などを拡大格上げし王仁選考に関する規定を改定した。

西暦405年に日本に渡り、百済時代の様々な先進的文化財を日本に伝え、K-カルチャーの原点から27甲周(1620年)になる今年、資格要件が大幅に拡大された。規定改正により、1番目の「王仁」に選ばれた東江河正雄は在日韓国人事業家である。

霊岩郡立河正雄美術館の主役でもある東江河正雄は、日韓両国の国・公立博物館と美術館に1万余点の美術品を寄贈し、世界的な文化支援事業家として大きな模範となり、2012年に大韓民国宝冠文化勲章を受章した。

河氏は東京王仁ライオンズクラブ会長を歴任、1999年に霊岩郡第一広報顧問官、2007年に霊岩郡広報大使に任命され、日韓両国の文化交流に大きく貢献し王仁博士の互恵・共生精神の模範となり、2025年王仁文化祭を迎え『王仁』として選ばれた。

王仁と王仁陶芸家に選ばれた東江河氏と姜氏は、2025年王仁文化祝祭の開会式で霊岩郡民の名で賞を授与され、王仁文化祭など国内外行事に参加し、王仁博士の功績を広く普及させると期待される。

今年の王仁文化祝祭は「偉大な航海(The Greatest Voyage)」をテーマに、郡西面の王仁博士遺跡地と鳩林村で開催される。』

※2025霊岩王仁文化祝祭行事は霊岩郡での口蹄疫流行と6月3日の大統領選挙のため、中止となる。

 

―崔子玉座右の銘―

 前年までの選定規約を変更しての日本居住の在日2世河正雄が選定されたことに大きな驚きもあったが、今年の祝祭行事は『偉大な航海』をテーマに開催されると知り、選定された喜びが増した。

 しかし崔子玉(名は瑗)の座右の銘にある「人の短所を謗ってはいけないし、自分の長所を誇ってもいけない。恩を施したときは忘れるよう努め、恩を受けた時は忘れてはいけない。世間の名誉は慕うに足りない。ただ徳こそ守り続けねばならぬ。じっくり考えた後に行動を起こし、悪口など気にしない。実質以上の評価を受けないように。具を貫くことは聖人の認められるところである。黒く染められても黒くならない事こそ尊い。言葉を慎み飲食を節し、足るを知って災いに勝て。以上のことを常に守っていれば、いつまでも香しく薫り続けるであろう。」という教えが甦り身が震えた。

 

―再検証・再評価―

 私が住む日本の関東や関西地方には百済川、百済郡、百済寺、高麗郡、高麗神社など韓国との縁と歴史的背景を示す地名、寺社、遺跡がいたるところで目に留まる。

 これらには古代における韓国との関係史が多く証言、記録されていることを教えている。韓日古代史は皇国史観、植民地史観など時の御用学者たちによる史観に基づくものが少なからず、現在の通説となっている。しかし、これらの遺物や遺跡の中には貴重な歴史的事実が秘蔵されロマンがある。

 一部の史家らは王仁の伝承史実を後世の創作と退ける傾向がある。古事記(712年)や日本書紀(720年)で口承説話をも混じりにまとめられているので、誤りやおかしな点も少なからず記録されているからだと思う。

史実の齟齬を取り上げて日本と韓半島の歴史から史実を退ける傾向が日本の戦後社会にある。これは非常に困難な問題であり、韓日国交正常化60周年を記念して温故知新、歴史を回顧し王仁博士の遺徳を顕彰する意義深い年になるよう改めて再顕彰、再評価すべきであると考える。

 

―聖域化事業の成果―

1985年8月、金玉鉉郡守から王仁史跡案内を受け、王仁博士遺蹟地復元計画図面を示された。霊岩郡沿革と現況報告書類、それまでの写真資料などで説明を受けた。そして在日同胞たちの協力と支援を要請され、応諾した。

失われた民族の主体意識を回復し、歪められた韓日関係の古代史を是正するためにも、栄誉ある使命感を抱いて王仁博士の研究、顕彰に精進し、その生誕地を聖域化する事業に寄与出来ることは栄誉である。

1987年、念願かなって霊岩に王仁廟が竣工し学而門、紅箭門、百済門、養士斉、遺跡展示館が建立された。

私は1991年より霊岩王仁廟参道や周辺などに桜植樹を始めた。最初は植樹を受け入れなかったが「桜が何か悪いことでもしたのか。桜が咲くと美しく思わないのか。春の喜びを世界の人達と共有しよう。」と訴え、理解を得た。以下は植樹経過である。

① 王仁廟 1991.10.16 桜苗木200本(染井吉野・佐倉産)・東京王仁ライオンズクラブと共に

② 王仁廟 1996.4.5 欅苗木200本 日本ケヤキ会と共に

③ 王仁廟 2006.4.8 角館枝垂桜苗木20本

④ 王仁廟 2006.11.20 角館枝垂桜苗木20本(③+④計40本2023.3現在生木14本)

⑤ 霊岩郡立河正雄美術館 2009.11.20 角館枝垂桜苗木30本(2023.3現在生木無し)仁川税関で検疫廃棄処分される

⑥霊岩郡立河正雄美術館・上台浦 2009.12.12 角館枝垂桜苗木30本植樹(2023.3現在生木14本)

⑦道岬寺 2012.3.30 角館枝垂桜苗木3本(2023.3 現在生木2本)

 2008年には王仁廟に千人千文字碑が建立された。千文字は一千字の異なった文字による四言二百五十句の詩文で、宇宙の哲理と人倫の大道を歌ったもので、人類の未来に勇気と希望を与える、悠久不変の哲理を説いたものである。私はその碑に『魄』の文字を揮毫した。2010年には第20回王仁博士春享祭に於いて初献宮の任を果たした。

 

―『博士王仁まつり』霊岩郡訪問団歓迎式典での挨拶―

 本日は午後1時から第35回四天王寺ワッソ・なにわの宮ステージ2025『古代の交流から学ぶもの・友情は1400年の彼方から』オープニング式典に、今夜は大阪日韓親善協会主催の第42回『博士王仁まつり』霊岩郡訪問団前夜祭歓迎式典、明日3日には枚方・王仁塚での博士王仁まつり式典にお招き下さり、皆々様との出会いを嬉しく思います。

 私は今年の春、2025霊岩王仁文化祭で霊岩郡が選定する『王仁賞』を受けました在日二世の河正雄と申します。

 賞の規定に住所地を霊岩郡に限定せず大韓民国国民であれば良いとの資格条件を大幅に改定しての受賞でありました。門戸を世界に開いた霊岩郡の英知であります。

 選定要件の一つに国または霊岩郡の発展に貢献した人物とあり、何よりも私は恵まれ選ばれた幸運に感謝しております。

 私は1999年に霊岩郡広報大使に任命され、これまで韓日間で働かせて頂いたことは喜びで誇りであります。

 また選定された人は王仁博士の広報と顕彰に努めなければならないという要件もあって、この度の祝祭行事に参加出来ましたことは幸いです。

何卒、王仁博士同様愛して下さいますようお願い致します。

 1939年、私が生まれた地は布施森河内で現在の東大阪市、JR片町線の放出(はなてん)駅に近いところであります。

枚方市地元有志によるボランティアグループ『王仁塚の環境を守る会』が発足したのは1985年のことです。1938年指定の大阪市史跡『伝王仁墓』を荒廃から守るための市民の良心の発露を麗しく思います。

 1994年、私は守る会の会員であった地元の写真家吉留一夫氏との出会いから王仁塚と御縁を結びました。

 1998年には史跡指定60周年を記念して、その時会長の任にあった東京王仁ライオンズクラブと宝塚王仁ライオンズクラブと共にムクゲを記念植樹しました。

 2006年には社団法人韓日文化親善協会の創立30周年記念事業として百済門建立に寄与出来たことを喜びとしております。

私は1974年に父母と共に故郷霊岩を訪問したのが王仁博士との御縁の始まりになります。

1975年、許練全羅南道知事が霊岩の王仁博士生誕地の聖域化を発表したことで王仁博士の存在を知ることとなりました。

 1976年には霊岩の鳩林里一帯が全羅南道記念物第20号に指定され、同年社団法人王仁博士顕彰会が『百済王仁博士遺墟碑』を建立、その式典に出席したのが私の顕彰事業の始まりです。

 1987年、王仁廟が竣工し浄化記念碑の寄贈建立、2006年には『神仙太極庭苑』が日本ガルテン協会により寄贈建立され、私が育った秋田角館の枝垂桜、佐倉の染井吉野桜など春の祭典に相応しい桜の植樹事業を進めました。そして霊岩王仁文化祭の開催となり韓日文化交流に寄与出来ましたこと幸いでした。

神仙太極庭苑の石碑文を紹介します。

『王仁文化祭りの10周年を記念して、古代先進文物を日本にもたらし燦爛たる飛鳥文化の花を咲かせた王仁博士の賢徳と偉業に敬意を表し、感謝と報恩の意味で、「日本国指定天然記念物角館枝垂桜」20本を植樹し、韓日共存を象徴する青竜黄竜の「神仙太極庭苑」を作庭する。よって王仁博士を顕彰し、平和を願い、悠久な韓日友好交流を祈念する。企画推進 河正雄』

 東京の恩賜上野公園には、私が生まれた翌年の1940年『博士王仁の碑』の正碑と副碑が王仁顕彰会により建立されました。

 私は1955年秋田の中学校の修学旅行で上野公園の西郷隆盛像を見学しましたが、すぐ傍に建っていた王仁博士の碑は、存在も知識も持たなかった当時の私は気付くことが出来ませんでした。

 1974年の霊岩訪問後に金昌洙先生より頂いた『博士王仁』著に学び、王仁博士の存在を深く知り碑を捜し当てました。碑の周囲は雑木と雑草が生い茂り管理が行き届いていない、見捨てられているかのような惨めな状況でありました。

 2016年、私は社団法人韓日文化親善協会の事業として正碑と副碑の脇に王仁博士青銅刻画碑を建立する事業に関わり尽力致しました。一帯を整理し、面目を一新したことで上野公園が明るくなり王仁博士の復光を喜ばれております。

 王仁博士への敬愛と遺徳を偲ぶ報恩の営みは、韓日の歴史と文化を継承し、永遠に友好親善交流の花が咲き誇りますことを祈念して、挨拶とさせて頂きます。

2025年11月2日 大阪市道頓堀ホテルにて

 

―終わりに―

 1974年、父母が46年ぶりの故郷霊岩への帰郷を共にして以来、51年になる。父は1975年、母は2011年に旅立ったが私は祖国と父母の故郷を往来し、これまで王仁博士への報恩の旅が出来たことは至福の喜び、感謝の極みである。

 王仁博士の遺徳は永遠なる遺産であり誇りである。王仁博士への報恩を忘れず顕彰することは今を生きる人々の命題である。