経緯

1976年5月20日 東京王仁ライオンズクラブ創立
1984年4月7日 330A地区第3リジョン第2ゾーン所属
東京王仁ライオンズクラブ第10期会員として入会する
1986年5月20日 東京王仁ライオンズクラブ10周年記念誌編集委員長
1991年5月20日 東京王仁ライオンズクラブ15周年記念誌編集委員長
1993年-1994年 ゾーン総務
1994年2月23日 2月第2例会にて崔龍基法学博士講演「相続問題について」
1994年6月4日 ロサンゼルスオリンピック ライオンズクラブ20周年記念式典に招待を受け5名出席する
1994年6月8日 6月第一例会にて俳優・テレビキャスター中村敦夫講演「韓国と北朝鮮の現実」
1994年6月16日 ソウル延世ライオンズクラブ25周年記念式典に招待を受け5名出席する
1994年7月1日 東京王仁ライオンズクラブ第20期会長就任
1994年7月12日 ライオンズクラブ330A地区・第3R・第2Z総務
1994年7月21日 9月第二例会にて統一日報金総領論説委員長講演「ライオンズクラブの理解とPRについて」
1994年8月20日 友好クラブ宝塚王仁ライオンズクラブとの共同作業
第10回王仁塚納涼むくげ祭参加記念ムグンファ植樹
1994年9月28日 9月第二例会にて「ベルサイユのばら」の劇作家「聖徳太子」講演
1994年10月5日 東京韓国学園開校40周年記念事業協助
1994年11月8日 東京麹町ライオンズクラブ事業「あさやけ作業所支援」王仁ライオンズクラブ30万円寄付する
1994年11月21日 11月第二例会にて直木賞作家西木正明著「夢幻の山旅について」講演
1995年1月25日 王仁ライオンズクラブ理事会にて阪神大震災義捐金305万円寄附
1995年1月27日 阪神大震災について支援の提案をライオンズクラブ3330A地区 第3R・第2Z各クラブメンバーにする
1995年1月 例会講演会 働きざかりの健康学「健全経営は健康な体から」食事研究家 本田功夫講演
1995年2月2日 日韓文化交流協会 ユニバーサルバレエ公演支援
1995年2月11日 ソウル首都ライオンズクラブ創立25周年記念式典招待受ける
1995年2月22日 2月第二例会にて 美術コレクターである福富太郎講演「会員増強について」
1995年3月24日 宝塚ライオンズクラブへ東京王仁ライオンズクラブ義捐金121万2千円寄付
1995年4月15日 330A地区第41回年次大会 東京プリンスホテル
常陸宮殿下、同妃殿下、李方子妃殿下、李玖殿下御臨席
東京王仁ライオンズクラブ運営優秀銀賞受賞
1995年5月8日 宝塚王仁ライオンズクラブ阪神淡路大震災見舞い訪問
1995年5月23日 309Aソウル延世ライオンズクラブ22名が東京王仁ライオンズクラブを訪問
1995年6月8日 中国残留孤児問題全国協議会事業残留婦人温泉招待支援
1995年6月30日 東京王仁ライオンズクラブ会長辞任
1995年7月4日~7日 ソウルでのライオンズ国際大会 27名出席する
1996年2月28日 辛淑玉氏講演「同胞企業の人材育成について」
1996年3月27日 金達寿氏講演「日本古代を見る渡来文化について」
1996年5月20日 東京王仁ライオンズクラブ20周年記念誌編集委員長
1998年10月13日 東京王仁ライオンズクラブ退会(第24期)

写真

記事

1989.4.23記述

愛と自立、そしてきずな

L 河 正雄

目の不自由な人たちに自立の場を―日韓双方の募金によって、韓国・光州直轄市に「光州盲人 福祉会館」が完成、さる4 月23日、竣工式が行われた。
東京王仁クラブのメンバーら30人が祝賀代表団を組織して訪韓した。点字印刷機、点字製版機、 点字複写機、点字版など寄贈して、会館の落成を祝った。535平方メートルの敷地に建てられた建物は地上2 階、地下1 階で、延べ床面積は432平方メートル。治療室、マッサージ室、点字図書館、セミナー室、会議室など、盲人が自立するための施設が整っている立派な会館だ。
7 年前にさかのぼる話であるが、父母の故郷である韓国全羅南道光州市を訪問したとき、盲人の訴えを聞いたのがキッカケで会館建設基金発起人となって、進めてきたものである。
「光州市内に400人、全羅南道には2000人の盲人がおりますが、いま、私の周りで自立し、生計をたてられる盲人は、数人しかおりません。教育はもとより、経済的にも惨めな生活をしております。仲間が集まって、親睦、交流、相互扶助の場、自立するための教育、訓練、研修ができる会館、組織がほしいのてす」
まだ福祉に対する意識が低いといわれる祖国ではあるが、私は過去に失明の危機に直面したことがあり、盲人の訴えを我がことのように聞いて、理解できた。
私は市庁や道庁を訪ね、盲人の支援を要請したところ、盲人や市民からも義援金が寄せられた。その基金で1983年、光州市内に事務所を借り、社団法人韓国盲人福祉協会光州支会が組織され、盲人たちの願いはかなえられたのである。ところが2年後、2階にあった盲人協会事務所から女性盲人が転落、20数針もぬう大怪我をした。また、家主からは立ち退き請求が出され、私は盲人たちの 独立した会館を建てる決心をしたのである。
まず始めに基金を集めるため、韓国では画家や書家、陶芸家の協力を得て、作品の寄贈を受けた。 その作品をもとに、慈善展を光州市内で開き、市民の協力を仰いだ。
また、日本では私が所属する東京王仁クラブ、在日全南道民会をはじめ個人からも賛同が得られ、 基金が集まった。同胞だけでなく、日本人からも基金が寄せられた。
東京王仁クラブ結成10周年記念行事として全羅南道霊岩の王仁博士の廟を訪問した折、親クラブの東京愛宕山、東京霞ケ関、束京赤坂、束京麹町、東京三田の各クラブ有志も参加され、貴い献金が寄せられた。異国の旅先で日韓親善の友情を培い、奉仕の喜びを分かち合ったのである。
こうした熱意と努力に、光州市では市民によって建設推進委員会が設立され、韓国政府と光州市から各5千万ウォンの支援も得られることとなり、昨年11月に着工の運びとなったのである。
韓国で初めての盲人のための独立した施設の竣工式には、4百余人の市民や盲人、その家族が集まって喜びを分かち合った。
光州直轄市長は「本米なら国がやらなければならない事業を海外の皆さんの善意でできあがったことに対し、衷心よりお礼を述べる。光州市では、これから福祉問題を政策として取り組むため、障害者の実態調査に入るのが現状であることを理解してほしい」と、述べた。日本では国家予算で保護されている現状を考えると寂しい限りであるが、国家ができなければ国民がやらねばならないのは当然である。祖国が豊かになって、国民が福祉の恩恵を受けられるまでは我々が奉仕を続けねばならないのである。私は在日韓国人二世であるが、母国にこのような奉仕活動ができたことに誇りを感じている。母国の同胞や,故郷に限りない愛をささげ、固い友情と契り、きずなを結びあえたことは無上の喜びである。
私は祖国に「豊かな福祉社会」「人間勝利の社会」が具視され、盲人たちの福祉が向上し、自立の精神が燃え続けることを祈っている。
メルビン・ジョーンズの言葉
「奉仕するとは役立つこと。だれかに奉仕するということは、その人の役に立つということだ。この偉大な世界で奉仕するということは、この偉大なる世界で何かの役に立つことを意昧するのである」
私は、このライオニズムと矜恃に守られ、多くの人々とともに生き、ともに奉仕のできる幸せをかみしめている。ご支援、ご協力くださった方々に厚く感謝をささげる。
本文はライオン誌1989年8月号掲載文を転載。
追記
我がクラブは、光州盲人福祉会館建立基金として、1986年4月、及び、1989年6月にアクト。継続支援事業と決定。
1990年4月、330-A地区第36年次大会に於いてこれらの事業が.認められ「国際協調アクティビティ優秀賞銅賞」受賞。