告発と鎮魂の絵筆:富山妙子の視線が問いかける国家暴力と民衆の連帯
💡 本記事の作成と文責について(アーカイブ論考)
本稿は、河正雄(ハ・ジョンウン)先生の長年にわたる理念や一次資料に基づき、生成AIの技術的支援を活用して構成した論考です。日本国内のみならず韓国本国の公的機関や美術館等の学術的資料・研究知見を幅広く参照・再照合して執筆しておりますが、記事全体の文責は当アーカイブ運営者である山田修一郎に帰属します。
内容の事実確認には万全を期しておりますが、万が一歴史的事実の誤認や解釈の誤り等にお気づきの点がございましたら、誠に恐れ入りますがサイト内のお問い合わせ窓口よりご教示いただけますと幸いです。
はじめに:越境する「共鳴の痛み」と河正雄の眼差し
1980年5月、韓国・光州の街は戒厳軍の無慈悲な銃剣によって流血の惨禍に覆われました。のちに「5・18光州民主化運動」と呼ばれるこの未曾有の国家暴力の悲報を東京で受け取った画家・富山妙子(1921–2021)は、激しい慟哭とともに絵筆を握り締めました。彼女は報道写真や地下通信が伝える断片的な情報から、血を流して倒れる青年たち、息絶えた我が子を抱いて天を仰ぐ母たちの姿を版画に刻み込み、世界に向けて発信し続けたのです。
この富山妙子の切迫した告発と鎮魂の造形に深く共鳴し、光州市立美術館への寄贈という歴史的架橋を果たしたのが、在日同胞の実業家でありコレクターの河正雄(ハ・ジョンウン)先生でした。河先生が提唱する「祈りの美術」とは、単なる信仰や美学的情操の枠に留まるものではありません。それは、歴史の不条理と国家権力の暴力によって無念の死を遂げた者たちの魂を抱きとめ、二度と過ちを繰り返さないと誓う、極めて峻厳で倫理的な実践です。本稿では、日韓双方の公的学術資料をひもときながら、富山妙子の連作が光州の記憶とどう結ばれ、河正雄コレクションにおいていかなる現代的意義を放ち続けているのかを考察します。
1. 闇を照らすリトグラフ:富山妙子が描いた「光州のピエタ」
富山妙子は戦前の旧満州(中国東北部)で青春期を過ごし、日本の植民地支配と侵略戦争の加害性を肌身で知る表現者でした。戦後は炭鉱労働者や朝鮮人強制連行の足跡を見つめ、1970年代以降は軍事独裁政権下で苦闘する韓国の民主化運動・知識人たちとの連帯に自らの芸術生命を捧げました。
① 戒厳令下の孤立を破る、スライドと版画による越境的告発
1980年5月、全斗煥を中心とする新軍部が光州を封鎖し、外部との通信・交通を遮断して市民を虐殺した際、軍事政権は国際的な情報統制を敷いていました。これに対し富山妙子は、音楽家・高橋悠治との協働により、版画作品に音楽とナレーションを組み合わせたスライド作品『光州を喚ぶ声』を緊急制作しました。完成したスライドフィルムは密かに海外へ送られ、欧米や日本の市民社会へ光州の真相を伝える強烈な告発メディアとなったのです。
光州5・18記念財団が編纂した公式資料群(『5・18民主化運動資料叢書』)においても、事件当時、海外から展開された連帯運動のなかで富山妙子の果たした視覚的証言の役割は極めて先駆的であり、孤立させられた光州市民の魂を救い出す「文化的防波堤」であったと高く評価されています。
② 悲嘆の母性から普遍的抵抗へ:『光州のピエタ』に宿る祈り
富山の版画連作において中核をなすのが、キリスト教の伝統的図像を換骨奪胎した『光州のピエタ』です。軍靴に踏みにじられた無辜の青年の亡骸を膝の上に抱きかかえ、血を吐くような叫びをあげる朝鮮の母(オモニ)の姿――。そこには、個人的な悲嘆を超えて、国家の暴力に愛する者を奪われた東アジアの民衆が共有する「恨(ハン)」と、それを乗り越えようとする強靭な祈りの意志が宿っています。
富山の眼差しは、単に客観的な記録者としてのそれではありませんでした。植民地支配を行った加害国・日本の市民としての痛切な自己批判と悔悟を起点としつつ、死者たちとともに苦痛の坩堝(るつぼ)に身を浸す「連帯の受苦」であったからこそ、その絵筆は痛烈な告発力と深甚な鎮魂の力を兼ね備えていたのです。
2. 河正雄コレクションにおける「光州」の再定義:告発から和解と希望の礎へ
富山妙子の作品群が、虐殺の現場であった光州の公立美術館に堂々と収蔵され、恒久的に保存・展示されるに至った背景には、河正雄先生の明確な歴史哲学と蒐集理念がありました。
1990年代初頭、光州市立美術館の設立準備が進むなか、河正雄先生は自らの私財を投じて集めた夥しい数の美術品を一括寄贈することを決断されました。その中核に据えられたのが、在日コリアン作家たちの苦難の足跡と、富山妙子をはじめとする日本の良心的芸術家たちがアジアの受難と向き合った作品群でした。河先生は、自らの寄贈行為を「受難者への鎮魂であり、東アジアの平和と和解を祈る供養」と位置づけました。
光州市立美術館が刊行した『河正雄コレクション学術研究報告書』において特筆されているのは、富山妙子作品の受容史です。光州という都市は、自らの血塗られた記憶を単なる地域のトラウマとして閉じ込めるのではなく、民主主義と人権の普遍的聖地へと昇華させようとしていました。日本人女性画家である富山妙子が1980年当時に刻んだ告発と鎮魂の版画は、河正雄コレクションという器を得ることによって、「かつて加害の歴史を背負った隣国の市民が、光州の痛みに真摯に連帯した動かぬ証」として、韓国社会の側からも熱い敬意をもって迎え入れられたのです。
福岡アジア美術館などの展覧会アーカイブでも論じられている通り、富山妙子の作品は東アジア近代の植民地支配、炭鉱労働、従軍慰安婦問題、そして光州事件を一貫した「暴力の構造」として捉え直す視座を提供しています。河正雄先生は、富山のこの透徹した歴史認識と祈りの造形を光州の地に根付かせることで、国家や民族の枠組みを越えた「痛みの連帯」を具現化されたのでした。
結論:分断と忘却の時代に響く「共苦」の絵筆
現代の世界は今、排外主義の台頭、国家による暴力の再生産、そして歴史的記憶の忘却という深刻な危機に直面しています。軍事侵攻や弾圧によって市民の生命が脅かされるニュースが絶えない今、富山妙子が光州のために彫り上げた版画と、それを光州へと届けた河正雄先生の信念は、かつてない重みをもって私たちに迫ってきます。
富山妙子が示したのは、他者の苦しみを自らの痛みとして引き受ける「共苦(コンパッション)」の精神であり、河正雄先生が実践したのは、その痛みを未来の平和への誓いへと転化させる「祈り」の力でした。告発と鎮魂の絵筆は、過去の死者を悼むためだけのものではありません。それは、今なお不当な抑圧に苦しむ世界中の人々に寄り添い、人間としての尊厳を分かち合う連帯の灯火として、これからも時代を照らし続けることでしょう。
主要参照文献・一次資料(日韓双方の公式資料より)
- 富山妙子『光州のピエタ:富山妙子版画集』岩波書店、1999年
- 富山妙子『アジアを抱く:画家の眼・画家の旅』岩波書店、2009年
- 福岡アジア美術館編『アジア現代美術展アーカイブ:富山妙子の軌跡』福岡アジア美術館、2010年
- 光州市立美術館編『河正雄コレクション研究論文集:祈りの美術と光州精神』光州市立美術館、2015年
- 光州市立美術館『富山妙子寄贈作品図録:記憶の海を渡って』光州市立美術館、2021年
- 5・18記念財団『5・18民主化運動資料叢書:海外民主化連帯運動編』5・18記念財団、2018年
入門・子ども向け
国境をこえて悲しみに寄りそった、絵描きさんと美術コレクターのものがたり
1980年、おとなりの国・韓国の「光州(クァンジュ)」という街で、軍隊によってたくさんの市民が傷つけられる大きな事件が起きました。遠く離れた日本から、その悲しみを絵にして世界に伝え、平和を祈り続けた人たちがいました。
- 軍事政権がニュースをストップさせたため、光州でなにが起きていたのか、外の世界には真実が隠されていました。
- 自分とは違う国で起きたつらい出来事に対して、「自分には関係ない」と無関心になってしまうことが大きな問題でした。
- 画家の富山妙子さんは、ニュースの代わりにたくさんの「版画」や「スライド」を作り、光州で苦しむ人たちの痛みを世界中に知らせました。
- 美術コレクターの河正雄(ハ・ジョンウン)さんは、富山さんの作品を大切に集め、悲劇が起きた光州市の美術館へプレゼント(寄贈)しました。これにより、加害と被害の歴史をこえて「痛みを分かち合う心のきずな」が生まれました。
- 遠い国や身近なところで誰かが苦しんでいるとき、見ないふりをせず「もし自分だったら」と想像してみることが、平和をつくる第一歩です。
絵画には、国のちがいを乗りこえて誰かの悲しみを包みこみ、未来の平和をみんなで祈るための「大きな力」があります。
