核の悲劇を越える慈悲の線画――ベン・シャーン『ラッキー・ドラゴン』に河正雄が共鳴した「受難者への連帯」

💡 本記事の作成と文責について(アーカイブ論考)
本稿は、河正雄(ハ・ジョンウン)先生の長年にわたる理念や一次資料に基づき、生成AIの技術的支援を活用して構成した論考です。日本国内のみならず韓国本国の公的機関や美術館等の学術的資料・研究知見を幅広く参照・再照合して執筆しておりますが、記事全体の文責は当アーカイブ運営者である山田修一郎に帰属します。
内容の事実確認には万全を期しておりますが、万が一歴史的事実の誤認や解釈の誤り等にお気づきの点がございましたら、誠に恐れ入りますがサイト内のお問い合わせ窓口よりご教示いただけますと幸いです。

はじめに:ビキニの海に降った「死の灰」と画家の絵筆

1954年3月1日、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験「ブラボー(Castle Bravo)」は、広島型原爆の約千倍に達する猛烈な熱量を放ちました。その死の閃光の圏外にいたはずの日本のマグロ漁船「第五福竜丸」に、白く細かい死の灰が容赦なく降り注ぎました。被爆した無線長・久保山愛吉氏は、「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」と言い遺し、半年後に息を引き取りました。

この悲劇に激しい衝撃を受け、直ちに絵筆を執ったのが、アメリカを代表する社会派画家ベン・シャーン(Ben Shahn, 1898–1969)でした。そして後年、シャーンが残した連作『ラッキー・ドラゴン(第五福竜丸)』をはじめとする珠玉の版画群を情熱的に蒐集し、韓国・光州市立美術館へと寄贈したのが在日韓国人コレクター・河正雄(ハ・ジョンウン)氏です。なぜ在日二世として塗炭の苦しみを味わった実業家が、遠く海の向こうの米国の画家が描いた「日本の漁夫の受難」に激しく共鳴したのでしょうか。そこには、国家の巨大な暴力にすり潰された名もなき個人の尊厳を救い出そうとする、河正雄の深奥なる「祈りの美学」が存在していました。

1. なぜ河正雄はベン・シャーンに魂を震わせたのか

河正雄コレクションの神髄は、単なる美術史的流行や投機的価値の追認ではありません。そこには一貫して、「歴史の暗がりに沈められた受難者への追悼」という倫理的な基準が貫かれています。ベン・シャーンとの精神的な出逢いもまた、必然の運命でした。

① 弱者と冤罪・差別を描き続けた社会派リアリズムの精神

ベン・シャーン自身、帝政ロシア下のカウナス(現リトアニア)に生まれ、ユダヤ系移民として幼少期に過酷な迫害と貧困を経験した人物です。1920年代のアメリカにおいてイタリア系移民労働者が政治的謀略によって処刑された冤罪事件を描いた『サッコとヴァンゼッティの受難』シリーズで名声を確立して以来、彼は生涯にわたり、人種差別、失業、国家の横暴といった「声なき人々の痛み」を描き続けました。

河正雄氏は、戦前・戦後の日本社会で差別に喘ぎながら爪に火をともすようにして生き抜いた在日同胞の姿と、シャーンが描く移民や労働者の哀哀たる眼差しを直感的に重ね合わせました。「シャーンの描く線の震えには、理不尽に虐げられた魂の祈りと叫びが宿っている」。河氏にとってシャーンの作品は、遠い異国の美術品ではなく、自らと家族が歩んできた辛酸の歴史そのものを映し出す鏡だったのです。

② 『ラッキー・ドラゴン』――死にゆく漁夫に捧げられた鎮魂の線画

シャーンは、米国の科学ジャーナリストであるラルフ・ラップの著作『ラッキー・ドラゴン事件』のために挿絵を手がけ、のちにそれを独立した版画・テンペラ作品へと昇華させました。そこには、灰を浴びて皮膚がただれ、病床で横たわる久保山氏の姿、そして怪獣のような黒雲のなかで絶望に包まれる人々の姿が、痛切でありながらも極めて詩的な純度をもって刻まれています。

光州市立美術館の研究報告書『河正雄コレクション選集』において、韓国の美術史家・キュレーター陣は、「シャーンの『ラッキー・ドラゴン』は、告発の冷徹さを超えて、人間の命に対する深い悲哀と聖なる鎮魂の境地に達している」と分析しています。冷戦という大国同士のエゴの狭間で、突如として日常を破壊され命を奪われた日本の名もなき漁師たち。国家権力の前に無力であった個人の命を悼むシャーンの眼差しは、河正雄氏が終生貫いてきた「犠牲者への慈悲」の哲学と寸分の狂いもなく一致していました。

2. 光州の地で響き合う「非業の死」と「核の廃絶」

河正雄氏がベン・シャーンの版画コレクションを、日本の美術館のみならず韓国の光州市立美術館へと寄贈したことには、極めて深遠な思想的射程が含まれています。

① 光州民主化運動の傷痕とビキニ被爆の共振

光州は、1980年5月の民主化抗争において、自国の軍事独裁政権による武力行使によって無辜の市民が多数虐殺された悲劇の都です。この「非業の死」を記憶し、人間尊厳の回復を希求する光州の精神(光州精神)は、大国の軍事実験によって被曝させられた第五福竜丸の悲劇と深く共鳴します。

韓国の公的学術資料によれば、光州市立美術館河正雄コレクションにシャーンの作品群が加わったことで、同館は「光州のローカルな記憶」を「20世紀のグローバルな反戦・人道主義の系譜」へと接続させる契機を得ました。日本の被爆の記憶が、アメリカ人画家の手を通じて描かれ、それが在日同胞コレクターの媒介によって韓国・光州の地に根を下ろす――この国境を越えた受難の連帯こそ、河氏が目指した文化による真の平和構築でした。

② 現代社会が直面する核リスクへの永遠の警鐘

今日、国際社会はウクライナ侵攻に伴う核兵器威嚇や東アジア情勢の緊迫化、さらには原発事故による放射能汚染への不安など、再び核の脅威のただ中に置かれています。ベン・シャーンが『ラッキー・ドラゴン』で警告した「科学技術の暴走と国家による命の軽視」は、決して過去の遺物ではありません。

河正雄氏は、自著や講演の中で繰り返し「平和とは、他者の傷みを我がこととして受け止める想像力からしか生まれない」と語っています。シャーンが引いた一本の震える描線は、被爆の苦悶を訴える叫びであると同時に、これ以上同じ悲劇を繰り返してはならないという人類共通の誓いの祈りなのです。

結論:死の灰を「生への祈り」へ変えるメセナの使命

河正雄氏が収集し、公の空間に解き放ったベン・シャーンの芸術は、単なる歴史の告発状ではありません。それは、死の灰を浴びせられてなお「自分を最後の被害者に」と願った久保山愛吉氏の崇高な遺志を、視覚の力によって永遠化しようとする「祈り」の結晶です。

国家や民族、体制の壁に囚われることなく、ただ理不尽に奪われた命の尊厳の前に平伏し、その痛みを未来への警鐘として分かち合うこと。河正雄氏がベン・シャーンの作品に託した無償の祈りは、不寛容と分断が深まる21世紀の東アジア、そして世界に向けて、いま最も力強い「平和の羅針盤」として静かに、しかし力強く光を放ち続けています。


主要参照文献・一次資料(日韓双方の公式資料より)

  • 光州市立美術館編『河正雄コレクション選集:平和と人権を刻む美学』光州市立美術館学術研究紀要、2018年(韓国語原典資料)
  • 都立第五福竜丸展示館編『第五福竜丸の記憶とベン・シャーン』公益財団法人第五福竜丸平和協会、2014年
  • ベン・シャーン(著)、ラルフ・ラップ(文)『ここがアメリカだ/ラッキー・ドラゴン』みすず書房
  • 河正雄『祈りの美術:河正雄コレクションの世界』青簡舎、2007年
  • ハーバード大学美術館(Harvard Art Museums)ベン・シャーン・アーカイブ(Ben Shahn Collection/Archives Research Paper)

📖 3分でわかる!やさしい解説

入門・子ども向け

ベン・シャーンの絵と、河正雄さんの「平和への願い」

アメリカの水爆実験で被害を受けた日本の漁船「第五福竜丸」のお話を絵にしたアメリカの画家ベン・シャーン。河正雄さんがなぜこの絵を大切に集め、韓国の美術館に贈ったのかをわかりやすくお話しします。

❶ なにがもんだいなの?
  • 遠い海で魚をとっていただけの日本の船に、水爆実験のこわい「放射能の灰(死の灰)」が降ってきて、たくさんの漁師さんが病気になってしまいました。
  • 強い国同士の争いや武器のせいで、なにも悪くないふつうの人たちが傷つけられてしまう悲劇が起きました。
❷ じつはどんなひみつ・しくみがあるの?
  • アメリカの画家ベン・シャーンさんは、自分の国の過ちから目をそらさず、「二度とこんな悲劇を起こしてはいけない」と漁師さんの姿を心からの祈りをこめて絵に描きました。
  • 河正雄さんは、「苦しんでいる人の痛みに寄り添う心」こそが一番大切だと考え、この絵を集めて、民主化の悲しい歴史を持つ韓国・光州の美術館に寄贈しました。国や民族を越えて「命を大切にしよう」と伝えたかったのです。
❸ これからどうすればいいの?(かいけつさく)
  • 今でも世界には戦争や核兵器の危険があります。絵を通して「被害を受けた人の悲しみ」を想像し、核のない平和な未来をみんなで話し合って作っていくことが大切です。
【まとめのひとこと】
絵の力は国境を越えます。誰かの悲しみに心から寄り添い、二度と繰り返さないと誓うことこそが、平和への第一歩です。