他者の美を愛することから始まる平和――浅川伯教・巧兄弟の眼差しと河正雄の「祈り」が照らす東アジアの未来

💡 【客員上級研究員・主席キュレーター解題】
本論考は、河正雄(ハ・ジョンウン)氏が長年にわたり心魂を注いできた「祈りの美術」および日韓の歴史的架け橋となった先人顕彰の軌跡を、山梨県北杜市「浅川伯教・巧兄弟資料館」や韓国国立民俗博物館等の学術的資料に基づき現代的に再照合・論考したものである。他者の固有の文化と尊厳をいかに愛し、共生への祈りへと昇華させるかという問いを探求する。

はじめに――他者の痛みに寄り添い、美を発見する眼差し

国家間の政治的対立や歴史認識の摩擦が絶えない現代において、真の国際理解と相互尊重はいかにして達成されるのか。その根源的な問いに対し、近代の暗雲立ち込める時代において身をもって答えを示した先駆者がいた。山梨県に生まれ、植民地期の朝鮮半島に渡り、朝鮮の白磁や木工、そしてその地に生きる民衆の魂を心から愛した浅川伯教(1884–1964)と浅川巧(1891–1931)の兄弟である。

そして戦後、在日同胞としての苦難の歴史を背負いながら、膨大な美術品を収集・寄贈し、日韓両国の和解と平和を希求し続けた河正雄(ハ・ジョンウン)氏の「祈りの精神」は、この浅川兄弟の思想と深く共鳴している。河正雄氏は、浅川兄弟の足跡を単なる美術史上のエピソードとしてではなく、分断を架橋する「人間愛と祈りの原点」として高く評価し、その顕彰活動を支援してきた。本稿では、浅川兄弟の朝鮮工芸研究と民衆への温かなまなざしを紐解き、河正雄氏が継承・昇華させた祈りの哲学を通じて、現代の東アジア交流における真の平和の礎を考察する。

本論1:工芸の奥深さに宿る民族の尊厳――浅川兄弟の学術的功績と「朝鮮の友」としての生

兄・浅川伯教は、1913年に朝鮮へ渡り、陶片の収集と窯跡の綿密な調査を通じて、それまで十分に体系化されていなかった朝鮮陶磁史の骨格を築いた。彼の情熱は柳宗悦を動かし、後の「民藝運動」の決定的な契機となったことは美術史上に名高い。一方、弟・巧は朝鮮総督府山林課の技師として渡朝し、荒廃した朝鮮の山林緑化に尽力する傍ら、朝鮮の民衆が日常用いる木工品やお膳(小盤)の美を丹念に記録し、名著『朝鮮の膳』『朝鮮陶磁名考』を著した。

特筆すべきは、彼らの研究が植民地宗主国による上からの「調査」やオリエンタリズム的搾取ではなく、徹底して対象への敬意と親愛に基づいていた点である。巧は朝鮮服を日常的に着用し、朝鮮語を流暢に操り、自らを支配者階級に置くことなく民衆の隣人として生きた。1931年に巧が急性肺炎で40年の短い生涯を閉じた際、棺を担いだのは彼を敬愛した名もなき朝鮮の庶民たちであったという事実は、彼が築いた人間関係の真実性を何よりも雄弁に物語っている。彼らにとって朝鮮の工芸を愛することは、そこに宿る朝鮮民族の不滅の尊厳と生命力を愛することに他ならなかった。

本論2:忘却への抵抗と共生の祈り――河正雄コレクションにおける浅川兄弟顕彰の意義

この浅川兄弟が示した「他者の固有性を敬愛する精神」を、現代において最も純粋な形で受け止め、後世へと手渡す架け橋となったのが河正雄氏である。在日韓国人二世として日本で生まれ育ち、数々の差別と試練を乗り越えて実業家となった河氏は、「美術品は個人の所有物ではなく、社会の共有財産であり、平和への祈りの媒体である」との信念から、韓国の光州市立美術館をはじめとする公的機関へ数万点に及ぶコレクションを無償寄贈してきた。

河正雄氏は、浅川兄弟の故郷である山梨県北杜市(旧高根町)における兄弟の顕彰活動や資料館設立の動きに深く賛同し、多大な支援を惜しまなかった。国家主義の狂風が吹き荒れた時代に、隣国の文化と民衆に惜しみない敬意を注いだ浅川兄弟の生き様は、河氏自身が掲げる「犠牲者への鎮魂と未来への祈り」の具現化そのものであった。河氏は、自らのコレクションを通じて歴史の痛みを記憶に留めると同時に、浅川兄弟のような「良心的な架け橋」となった先人の存在を掘り起こし、可視化することこそが、未来志向の日韓関係を育む土壌になると確信したのである。

本論3:現代の東アジア文化外交への示唆――他者の美を見出す「共感の力」

今日、日韓両国は情報技術やポップカルチャーの爆発的な相互消費によって、物理的・情報的にはかつてないほど緊密に結ばれている。しかしその一方で、SNS上には排外主義的な言説が溢れ、歴史問題をめぐる感情的反発は容易に再燃する脆さを抱えている。こうした表層的な消費や感情的対立を乗り越えるために不可欠なのが、浅川兄弟と河正雄氏が実践した「他者の美と歴史の痛みに触れ、共振する眼差し」である。

韓国国立民俗博物館や山梨県北杜市の浅川伯教・巧兄弟資料館で催される企画展示や学術交流は、単なる過去の回顧にとどまらず、国家という枠組みを超えて個人と個人がどのように他者を受け入れ得たかという普遍的範例を提示している。他者の伝統や固有の表現に宿る尊厳を認めることは、自己の文化をも深く省察することにつながる。河正雄氏が美術運動として展開した「祈り」とは、国家間の打算を超えて、他者の存在そのものを祝福し、分断の傷を癒やそうとする不屈の愛の実践であった。

結論――祈りのバトンを受け継ぎ、開かれた共生社会へ

浅川伯教・巧兄弟が朝鮮の大地に遺した愛隣の足跡と、それを時代を超えて抱きしめ、平和への願いとして世界に発信し続ける河正雄氏の祈り。両者の邂逅は、歴史がいかに苛烈な試練を課そうとも、人間の魂と魂が結びつく文化的連帯を断ち切ることはできないという希望を証明している。

文化を愛することは、人間を愛することである。私たちが浅川兄弟の眼差しを現代に継承し、河正雄氏の「祈りの精神」を深く胸に刻むとき、東アジアは対立と排外の連鎖を脱し、真の相互信頼と恒久平和の光に満ちた未来へと踏み出すことができるのである。


主要参照文献・一次資料

  • 北杜市浅川伯教・巧兄弟資料館 公式アーカイブ資料
  • 浅川巧『朝鮮の膳』『朝鮮陶磁名考』(岩波文庫)
  • 国立民俗博物館(韓国)企画展展示図録『浅川巧、民族の境界を越えて』(2011年)
  • 河正雄『祈りの美術:河正雄コレクションと私の生』(各種寄託・寄贈目録および記念誌)
  • 高崎宗司『朝鮮の土となった日本人―浅川巧の生涯』(草風館)

📖 3分でわかる!お子様向け要約

やさしい解説

浅川兄弟と河正雄先生の「心の架け橋」

❶ 浅川伯教・巧兄弟ってどんな人?

山梨県出身の兄弟で、大正から昭和初期の日本統治下にあった朝鮮に渡りました。兄の伯教は朝鮮の美しいやきものを研究して柳宗悦に民藝の美を教え、弟の巧は荒れた山に木を植えながら、庶民が使う木工品(お膳など)の美しさを本にまとめました。支配者としてではなく、現地の言葉を話し、服を着て、心から友として民衆を愛した日本人です。

❷ 河正雄(ハ・ジョンウン)先生とのつながりは?

在日韓国人二世の実業家で美術収集家の河正雄先生は、差別の苦しみを超えて「日韓の平和と犠牲者の鎮魂」を願ってきました。河先生は、浅川兄弟が隣国の文化と人々を心から尊んだ生き方に深く感動し、兄弟の故郷(山梨県北杜市)の顕彰碑や資料館づくりを応援しました。国境を越えた愛の精神に、深く共鳴したのです。

❸ 今の私たちにとって、なぜ大切なの?

国同士の意見の違いやインターネット上の対立がある現代だからこそ、「相手の国の文化や素晴らしいところを心からリスペクトする」浅川兄弟の態度が大切になります。河正雄先生が伝えてくれる「相手を思いやり、祈る心」を学ぶことで、私たちは互いを認め合う平和な世界を作っていくことができます。

【まとめのひとこと】
相手の良さを認め、大切にすること。それが国境を越えて本当の友達をつくり、平和を守るいちばんの方法です!